調子にのらせない人

「勘違いさせない人」を見ている。
「調子に乗らせない人」という言葉が思い浮かぶ。

子どもや生徒に対して、勘違いさせなかったり、調子に乗らせなかったりするのは、いいことなのだろうかと考える。
日本のスポーツ指導者は、選手を調子に乗らせないことが多いイメージがある。
そういう姿勢が威圧的な指導や体罰とリンクしているところもある。

これは、日本人だけなのかわからないが、日本人は下手に出ることが多い。
自分の意見を言う際にも、自己アピールする際にも、「自分は大したことないですよ」と卑下する。
へつらう。
それによって、見ている人、評価する人は、褒めたり、いい部分を言ってくれたりするので、へつらいは止まらない。
それに対し、鼻っ柱が強そうな人が堂々と意見を表明したりすると、見ている人は、一転、批判的なコメントを返したりする。
日本人は、徹底的に「調子に乗らせないぞ」というところがある。

先日、あるプロ野球選手がベンチに戻った際、自分の用具を投げつけて、骨折したというニュースがあった。
その選手は高校時代から強豪校に所属していて、用具メーカーから無償で用具を支給されていたたしく、そのことに言及したファンが、「若い時から当たり前に用具を支給されて、調子に乗ってたんだ」とコメントしていた。
まぁ、その人が本当にファンなのかどうかは置いておいて。

確かに、強豪校の高校球児は「金の卵」なので、そういう面もあるのかもな、と思いつつ、でも、その選手は、調子に乗ることで成績を伸ばすタイプの選手だった可能性もあるなとも思う。
スポーツでは、イチローのように、自身のバットを、特注の専用ケースに入れて持ち歩くようなタイプの選手から、テニスの選手のように、ラケットをへし折ることで精神をコントロールするタイプの選手まで、道具の使い方は様々で、それが、調子に乗ることに直結しているのかどうかは判断がつかない。

指導者が選手を調子に乗らせず、勘違いさせないようにしようとするのは、選手が立っている位置を自身で正確に把握させようとするからである。
「地方では一番でも全国にいけばお前みたいなのはゴロゴロいるぞ」
そう言う時、監督は自分のレベルを知れと言っているのであり、
「お前らがプレイできるのは、親御さんのサポートがあるからだ(とか道具を作ってくれる人がいるからだ)」
と言うのも、野球ができるということの前提には、多くのサポートがあるということを思い出させる指摘である。
これは、「井の中の蛙になるな」ということだが、日本の部活動ほど、指導の中に「感謝」という言葉が出るスポーツ現場は世界にもまずないだろうと思う。

話はすっかり変わるというか、逆から考えてみると、芸人のビートたけしさんが、レストランやバーでたまたま若手芸人に会うと、「お前らは大丈夫」と必ず声をかけてくれるというエピソードを思い出す。
その話が本当なら、たけしさんは会う若手、会う若手に、「お前らは大丈夫」と言っているのだが、それによって後輩芸人は、「たけしさんに認められた」という安心感を得、たけしさんも、そのうちの一部の芸人が後に売れた際、「たけしさんにこう言ってもらえた」という話をされ、好印象につながる。
つまり、直接、後輩芸人を教育する立場にないたけしさんにしてみれば、若手を勘違いさせることで得はあっても、損は何一つないのだ。
(たけしさんはそういうつもりで言ってないと思うけど)
(それに、芸人は、勘違いしたい人がなる職業だけど)

たけしさんが若手芸人に与えているのは「安心感」である。
「安心感」があることで、本来の実力が出せる人は大勢いる。
「調子に乗る」「勘違いする」というのは、すでに実力が示せて、現在の状態に慢心している人が陥る状態である。
まだ「慢心」まで行かない「若手」は、「戒め」の前に、「安心感」が必要になる。
日本では、まだ井の中にいるのにうっかり慢心しないように、「安心感」を与えるのではなく、「調子にのるなよ」「勘違いするなよ」と、戒めすぎているような気がする。
「井の中の蛙になるな」というのは、子どもが「立派な井の中の蛙」になってからでいいのではないかと思う。
それは、その前に「お前は大丈夫」と言ってくれてる人がいてくれることが大前提である。

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この記事を書いた人

はじめまして慶虫です。西日本で高校生相手に教育系のしごとをしています。 日々、考えたことを書いています。

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