遺言と恋文

 

「向田邦子の遺言」という本がある。
向田邦子が飛行機事故で死ぬ前に家族に宛てた遺言書が載っている本で、
死後20年たってから公開された。
向田邦子には、「向田邦子の恋文」という本もあり、
そちらには、生涯独身だった向田邦子が、生前、恋人と交わした手紙が掲載されている。
これも、死後だいぶ経ってから発売された。
向田邦子にかぎらず、死後、遺族によって、
作家の、残された手紙やラブレターが一般に公開されることはある。
向田邦子の場合は、妹の和子さんが「遺書」と「恋文」を公開し、
そのことで、少なくない向田邦子ファンが、反発した。
妹といえども、死者となった人のプライベートを勝手に晒していいのか、
姉の遺品を売って、「金儲けしている」のではないか。
そういう批判があった。

まだ死んだことがない僕は、
死後に、生前書いていた手紙や日記が人目に晒されるのが、
恥ずかしいと思うのか、嬉しいと感じるのか、想像もできないが、
死んだら、恥ずかしがることも嬉しがることもできないので、
どっちでもいいような気もする。
ただ、死後、どういう扱いをされるにしても、
人には、人に忘れさられたくないという感情があるので、
忘れ去られるよりは、
恥ずかしい手紙でも読まれたほうがマシと考える人もいるだろう。
そういえば、ある作家が、マンガ「ワンピース」の解説で、
どんな偉大な活躍をした人も、英雄も、海賊も、
その勇姿を後世に語り伝えていく人を必要としていて、
自分の成したことが、後々、多くの人に伝わっていくと思えることで、
彼らは自尊心を高めるのだという旨の文章を書いていた。

自分の書いた遺言や恋文が、死後、文庫本になるとは思ってなかった向田邦子が、
今、どういう気持ちなのかは察することができないが、
向田邦子は、生前、「父の詫び状」など、家族のことを題材にエッセイを多数書いていて、
家族のプライベートを晒された姉弟たちに、さんざん怒られている。
そういう意味では、死んだ後に、姉弟から「遺言」や「恋文」を公開されても、
お互い様のような気もするし、
姉弟に本の印税が渡るように、遺書にきちんと書き残した配慮からすると、
お互い様でもないような気もする。

確かに、「恋文」の方は、読んでいても、
人のプライベートを覗き見しているような秘匿感があるし、
それを実の姉弟が公開することになんの違和感も感じないわけではないが、
独り身だった向田邦子は、海外旅行にいくたびに、妹に猫の世話を命じて、
遺書も、間があくと、新しいものに書き直していた。
飛行機に乗るたびに、自分は死ぬかもしれないと考える人は、
自分が死んだ後に発見されるであろう手紙やラブレターのことだって、考える。
それなのに、手紙を燃やしたり隠したりしなかったということは、
絶対に人に見られてはいけないものだとは思っていなかったのだろう。
公開された遺書の最後には、こうある。
「どこで命を終るのも運です。
 体を無理したり、仕事を休んだりして、骨を拾いにくることはありません」

どこで命を終るのも運。
こういうことを書く人は、多分、死んだあと、

自分の評価がどうなろうが、気にしたりしない。