10/6 ヨガと瞑想がわかる人

友人と話していて瞑想やヨガの話になった。
彼女はヨガを何年もやっているので、
ヨガや瞑想の良さを知っているが、
周りの男達が全然、その良さをわかろうとしないという。
僕はヨガも、いわゆる「瞑想」もそんなにしないが、
その効能はわかる。
その効能がわかる素地が僕にはある。

茶道と瞑想とヨガの同じ点をあげるとすると、
「いま・ここ」を感じるためのものだといえる。
このことは、こどもにはわからない。
子どもは、正座してまずい抹茶を飲む良さもわからないし、
ただ座ってじっと目をつぶる意味もわからないだろう。
そう。
その男達は、たんに子どもなのだ(と一応言ってみる)。

ヨガや瞑想に興味がない男は、
どちらかというと世俗的というか、
現世にしか興味がないのかなと考えてみる。
「社会」とか「世間」とか、
この人間界の価値に一喜一憂する人達。
そういう人達は、瞑想さえもツールとして使う。
自分のパフォーマンスを最大にするためのツール。
それはそれでかまわないが、なんだかなあとも思う。

「いま・ここ」でいうと、食事も同じようなものだ。
「いまを丁寧に生きる」人達は、食べることも大切にする。
ゆっくり食べる。
よく噛んで食べる。
それに対して、子どもも男もガツガツ食べる。
ハンバーグをオムライスを、バクバク食べて、
牛乳を一気飲みして、運動場にサッカーしに走る。
「いま・ここ」がどうした。
早くしないとゴール取られちゃうよ。
子どもと男は、いつも急いで生きている。
そんな男にご飯をゆっくり味わう大切さを教えるのは難しい。
同じように、ヨガや瞑想の良さを教えるのも難しい。
諦めたほうがいいのかもしれない。

ただ、その良さがわかる男もいる。
僕のように。
じゃあ、僕が丁寧に食べてるかって?
まさか。
片手で済ませている。
ただよく噛むことの効能はわかる。
その効能がわかる素地が僕にはある。
しかし、ただ、素地があるだけだ。
わかることとやることは、また、別の話だ。