1/11 主体的な学び

アメリカの高校に通って驚いたことの一つは、
授業で、だらけた奴が一人もいないことだった。
一限目から2Lのペプシを飲んでる奴はいたし、
寝間着のまま登校して、枕抱えながら授業受けてた奴はいたけど、
机に突っ伏して、だらけて授業を受けている奴は一人もいなかった。
日本では、だらけながら起立して、
だらけたまま礼して、だらけつつ座って、
だらけた姿勢で授業をうけるのが、
思春期の中高生というものだ、くらいに思っていたので、びっくりした。
授業中ポップコーン食ってるくせに、だらけてない!

「アクティブラーニング」という言葉が教育界で「流行っている」。
「能動的、主体的な学び」のことらしく、
これまでの暗記・詰め込み式とは違うメソッドに、
現場の先生たちは、どう準備をしたらいいか頭を悩ませている。
主体的に学び、グループの中で共に学んでいく力は、
「三年で辞める若者」や「コミュ障な若者」が増えていく中で、
社会から要請された力なのだ。

「アクティブラーニング」とは、
噛み砕いて表現すると、「だらけない授業」のことだと思う。
多分、文科省の人は「全然、違う」と言うだろうが、
主体的に取り組み、他の生徒と一緒に、積極的に学ぶというのは、
まず、そういうことだ。

「だらけさせない」
これは、中々難しい。
日本の生徒がだらけているのは、
部活で疲れているからでなく、
授業での学びを「拒否」しているからだ。
アメリカのように積極的に発言しようとせず、
「途上国」の子どものように、貪欲に学ぶ姿勢もない。
授業に積極的に参加したいとも、
しなければとも感じていない。
ただし、「拒否」しているとは言っても、
予備校や塾では勉強しているので、
学びを「拒否」しているわけでなく、
学校の授業を「拒否」しているだけなのだろう。
その生徒の現状を、
「アクティブラーニング」というメソッドで、
「主体的」にしていくというのは、至難の業だろう。
アメリカの生徒は、例えラリってても、だらけてはいなかった。
朝からずっとヘラヘラ体を揺らしながら笑っていた奴でさえ、
授業では積極的に、手をあげていた。
もちろん、ラリってたから、答えは、意味不明だったけど・・・。

「学校は、社会の鏡」といわれる。
アメリカの子ども達は、自分が生きている社会を見て、
例えラリってる時でも、「主体的」に授業に参加する。
社会を変えずに、
学校の中だけ、メソッドでどうにかするのは、中々難しい。
(まだ導入まで時間があるので、試行錯誤していくしかない)