11/16 スタバで編み物

ベージュのヘアバンドにニットを着た女の子が、スタバで編み物をしている。
なんて、勝手にスタバのイメージを高めてくれる人だ!
僕がスタバの社員なら、歓喜する。
カフェで編み物しているなんて、
「カフェはあなたにほっとする時間を提供しています」ってリアル広告だしてるようなもんだ。
「別に、わざわざカフェで編み物しなくてもよくない?
 編み物してる女の子な自分に酔ってるんじゃない?」
そんな意地悪な見方もできるくらい絵になる風景だったが、
多分、彼女はただ編み物を進めたいだけだろう。
スピードが違う。
高円寺のおじさんが居酒屋で焼酎片手に文庫本読んだり、
中学生が下校中、歩きながらマンガを読むように
没頭しすぎて、どう見られているかなんて考えていない。
一心不乱に棒針を動かし、目を作っていく。
あの速さ、マフラーか手袋かセーターか何かを、
クリスマスまでにどうしても間に合わせたい人のスピードだ。

以前、法学部の友達と新宿の南口で待合せをした時のこと。
先についた僕が、ポケットから本を取り出して読んでいると、
彼が改札を通ってやってきた。
彼もカバンを持たずに来たのだが、右手に六法全書を抱えている。
ろ、六法全書!?
法学部ではないので、六法全書の使用法を僕は知らなかったが、
これから友達とカフェで話すってのに、六法全書はないだろう。
いつ読むつもりなんだ。
もしかしたらアクセサリーのつもりなのかもしれない。
「六法全書読んでる知的な俺」っていう自分を演出するアクセサリーとして
六法全書を抱えてきたのかもしれない。
でも、もしそうなら、とんだ間違いだ。
何一つ「知的な俺」は、演出できていない。
ただただ、よくわからない人だ。

カフェに入り、先にトイレに行って戻ってくると、
彼が六法全書を読んでいる。
へえ、ほんとに読むつもりで持ってきたんだ。
アクセサリーではなかったらしい。
そりゃ、そうか。
そんなダサいアクセサリーない。
カフェで真剣に六法全書を読む男も、絵にならないこともないが、
カフェで編み物している女にはかなわない。
カフェは「ほっとする時間を提供する」場所だ。
編み物は「ほっとする時間を提供する」場所を演出するアクセサリーになるが、
六法全書はならない。
六法全書は、ほっとしない。
社会で役に立ちすぎるものは、アクセサリーにもならないし、カフェにも似合わない。