11/21 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

秋・真っ盛り。
山道の色づいた落ち葉を、クシャクシャと踏みしめながら山頂を目指していると、
ふいに口が、あの人の言葉をつぶやく。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
 死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
日本史上最高の天才と言われる空海の言葉。
意味は、わからない。
天才の言葉がわかるはずもない。
天才の言葉からは、生の始めも、死の終わりも暗い(冥い)ことくらいしか伝わってこない。
生の始めは暗く、死の終わりは冥し、ということだけでも覚えておく。
いつか役にたつ日がくるだろう。

「生」と「死」といえば、
「生」は「!」であり、「死」は「?」だと書いたのは、どこの誰だったか。
文筆家の池田晶子だったような気もするし、そうじゃない気もする。

「生」が「!」。
「この世」に生まれ出た人は、まず、驚く。
今までいた世界と違うことに気づき、ビックリマークが飛び出す。
「!」
なに、ここ!
ここ、どこ!
おれ、だれ!
って問えてしまうこの世界、なに!
言葉を知り、世界と自己を認識した時、僕らは、(徐々にだが)、非常に驚く。
ただ単純な驚き。
「生」は「!」。

そして、肉体的に朽ち果て、人間として存在できなくなった時に感じる、「?」。
死んだあとに、「?」と感じるのが「自分」なのか誰なのかは、わからないが、
生まれ出たあとの「自分」が「!」と感じていたということは、
死に出たあとの「自分」が「?」と感じても不思議ではない。
「死」は謎だ。
「?」だ。
でも、「死」が「?」なら、「生」も「?」ではないだろうか。
まだ見ぬ「死」は確かに謎だが、それならば、今生きている「生」も謎だ。
「生」は「!」だとさっき言ったが、どっちかというと「!?」の方がしっくりくる。
「ここ、どこ”!?”」だ。
驚きであり、謎。
それまで世界だと思っていた母親の胎内の一部がクラックして(裂けて)、
「この世」に飛び出してくる驚きと謎。
その時の驚きたるや、計り知れない。
どれほど驚いたかまったく思い出せないくらい、計り知れない驚き。

でも、生が「!?」なら、死も「!?」だろう。
「この世」から考える、まだ見ぬ「謎」としての「死」はただの「?」だが、
「死」んだ後、今までとは違う世界だと気づいた時に感じるのは、間違いなく「!?」だ。
その、「死」にもいつか「終わり」が訪れ、
また、新たな世界とのクラッシュ(遭遇・衝突)が訪れる。

生まれても「!?」。
死んでも「!?」。

「生」も「死」も「この世」を生きている者にはそれが何なのかわからず、
そこには、「驚き」と「謎」しかない。
「!」であり「?」。
僕も母親の胎内という「あの世」が一部クラックして「この世」に生まれ落ちた時は、
「!?」と感じたんだろうし、
「この世」から退場して、未知なる「あの世」へ行き、
「あの世」の「終わり」に際して、また未知なる世界とクラッシュする際には、
肉体的感覚を持っていないとしても、「!?」と感じるのだろう。

先月までまったくそんなそぶりをみせなかった山の木々は、
すっかり紅葉色に様変わりしている。
「この世」は、木々の葉を赤く染め、地面にひらひらと落とし、
季節が変わると再び枝々に芽を息吹かせ、葉を開かせる。
「生」と「死」は繰り返され、その度に世界では「!?」と「!?」が繰り返される。
どんな「生」の「始め」も、大きな世界のクラック(ひび割れ)で始まり、
どんな「死」の終わりも、次の大きな世界とのクラッシュ(衝突)で終わる。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めにCRUCK(暗く)!
 死に死に死に死んで死の終わりにCRUSH(冥し)!」
そんな言葉遊びを必死に考えてる間に、山頂にたどり着いてしまった。
山のてっぺんから、「この世」を見下ろす。
「!?」
この世は、僕が思っていたよりも早く、赤く染まっている。
気づかないだけで、世界のあちらこちらで、
昨日も今日も、クラックとクラッシュは繰り返されていたのだ。
世界に、無数の「!」と「?」を撒き散らしながら・・・。