1/16 初球ど真ん中

大学受験の一ヶ月前に、小論文の先生が、
日本のことを世界に伝えた名著として、三冊の本を教えてくれた。
新渡戸稲造の「武士道」
内村鑑三の「代表的日本人」
岡倉天心の「茶の本」。

明治期に書かれたこれらの本は、
日本人の考え方を海外に知らせる良書であり、
海外の人が日本のことを知るためにも、役に立つ本だ。
僕は、受験の追い込み時期に読む本ではないなあと思いつつも、
三冊ともサッと読んだ。

大学に入って、内村鑑三の「代表的日本人」をバッグに入れて、
ヨーロッパに旅行に出かけたことがあった。
スペインに滞在中、ローカル線に乗ろうと、
時刻表も見ずに小さな駅に向かうと、
まさに、僕の乗るべき列車が今にも発車しそうになっていたので、
一瞬、駆け足になったが、
まだ列車の中で食べるスナックも買ってないし、
なんだか列車に乗る心の準備もできないので、
結局乗らないことにして、列車を見送った。
それから次の列車が来るまで、
小さな駅のベンチで「代表的日本人」を読みながら、5時間待った。
思った以上のローカル線だった。
駅には、スナックを売っている売店なんてもともとなく、
なんで乗らなかったんだろうと、後悔した。
チャンスの女神の後ろ髪は短いと、逃した後に気づいた。

チャンスは、自分の都合に合わせて来るわけではない。
心の準備ができてないために打ちごろの初球を見逃すと、
その後、いい球は二度と来なかったりする。
初球から狙っていく姿勢を忘れてはいけない。
駅のベンチで読んだ「代表的日本人」の中の
内村鑑三は、そう僕に語りかけてきた。

内村鑑三にスペインでそう言われる4年前、
僕は静かに、大学の入学試験の開始時間を待っていた。
小論文の問題用紙が全員に配られた後、
試験官の「始めて下さい」の合図で、
問題用紙をめくると、あまりに予想外の”初球”に、
僕のからだはフリーズした。

小論文の問題文が、
『日本を世界に紹介した代表的な本に、
 新渡戸稲造の「武士道」、内村鑑三の「代表的日本人」、
 岡倉天心の「茶の本」がありますが・・・』
で始まっていたのだ。
一ヶ月前に読んだ三冊の本についての話がドンピシャで、
小論文の設問になるなんて・・・。
多分、ここにいる受験生のうち、この三冊を読んだ奴はそういない。
しかも、しっかり内容を覚えているのは、僕一人だろう。
あまりの絶好球に、手が動かなかった。
他の受験者がカリカリ、ペンを動かしている音を背に、
僕のペンはピクリともしなかった。
でも、僕は、その絶好球を逃すことはなかった。
チャンスの女神の後ろ髪が短いことは知っていたが、
小論文の受験時間は、180分あった。
仕留めるには、十分すぎる時間だった。
あまりの絶好球に動揺した心を、
10分間何もせずに、ただただ落ち着かせて、
残りの2時間50分で、しっかり振り抜いた。
ボールは場外に飛んでいった。
ああ。
もうけた。
試験時間が1時間だったら、やばかった。