12/1 モモ

日本でも著名な経営者が言っていた。
「同じ本を二度、読み直すことはない」。
一度読んだ本を、二度と読み直すことはない。
年齢が変わるごとに同じ本を読み直している自分とは、
本の読み方、時間の使い方が違うのだなと思う。

ビジネス界の「すごく仕事のできる人」と話していると、会話の速さに驚く。
「あのですねー」「そう考えてみるとするとー」と僕が前置きをしている間に、
いつの間にか次のトピックに移っている。
次から次に、トピックはビュンビュン飛んでいく。
普通の人よりも一つの話にかける時間が短く、
短い時間の中でより多くの話を済ましてしまう。
僕の知り合いには、「通販生活」を日がな一日眺めて、
「煙が出にくい焼肉プレート」を買うかどうか悩んだ挙句、
結局決めきれずに翌日に持ち越すような人がいるが、
「仕事のできる人」は、そんな無駄なことはせず、即決してしまうのだろう。
価格だけ確認して、1分で即決。
そして、残りの時間で、他のことも次々に即決してしまう。
そのスピード感でもって、1日のうちにできることをどんどん増やし、
人生でできることをどんどん増やしていく。
多分、ナポレオンのような英雄はそうやって自分の限られた寿命の中で、
出来うることを増やしていったのだと思う。
そうでなければ、50年であれだけの偉業は成し遂げられない。

もし、1日かけてしまえることを1分でやることによって時間を節約し、
節約した時間を、お金のように、増やしていけるのだとしたら、
人は、増やした時間をどう使うかも、同時に考えなければならない。

日本人は、お金の使い方が下手だと言われるが、
それは、貯めることばかりで、使うことに頭を使っていないからだ。
勤勉に働いて働いて貯めたお金も、
なんとなく無駄に浪費したり、貯めるばかりで最後まで使わなかったり、
「生きたお金」にしていない。
どうお金を使うかは、どうお金を増やすか、よりも難しいのだ。
時間も同じで、切り詰めて貯めた時間を、
「生きた時間」として使わなければ、意味がない。

児童文学「モモ」の中で、人々に時間を節約させる「時間銀行」の「灰色の男たち」は、
時間を銀行に預けさせることで、人々の時間を奪っていった。
「時間銀行」は時間を貯蓄させるだけで、どこかに投資するわけではない。
人々は時間を切り詰め、後々、利子がついて戻ってくることを期待して時間を預けるが、
時間は利子がつくことも、返ってくることもない。
人々は、貯めることに懸命になるばかりで、
貯めた時間を使うということを考えなくなり、
常に、人々はせわしなく、急かされて、生きるようになる。
万が一、貯めた時間に利子がついて返ってきたとしても、
時間を節約するために大切な人との交友を断ってしまった人々は、
大切な時間を一緒に過ごす人を失ってしまっているので、
”増えた”時間を使うべきシチュエーションが見つけられない。

時間を奪う「灰色の男たち」が恐れていたのは、主人公のモモで、
モモは一見なにもできない子どものようだったが、人の話を聞くことだけができた。
「灰色の男たち」が人の話を聞くモモを恐れた理由は明白で、
それは、人の話を聞くことが、人に時間を与えることになるからだ。
人の話を聞くことは、他人のために自分の時間を使うということで、
それは、自分の時間をあげることに等しい。
自分の話を聞いてくれる親を子どもが信用し、
親身になってくれる先生を生徒が信頼するのは、
親や先生が、話を聞いてくれるからで、
子どもにとって、親や先生は、進んで、時間をくれる人なのだ。
子どもは、周りの大人からもらった膨大な時間を食べて大きくなり、
大人から多くの時間をもらえなかった子どもは、早いうちから、大人のような顔つきになる。
そうやって時間を与え、与えられることでもって出来上がる関係を、
サン=テグジュペリは「星の王子さま」の中で、
「apprivoiser(飼いならす、なつかせる、仲良くする)」という単語でいった。
「でもきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる。
 きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。
 ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる」と。

人の話を聞くことは、自分の考えを要約して感想文にしたり、
人前で自分の意見を発表したりするようなこととは違い、
今の学校で授業中、先生に教えられて伸びる類の能力ではない。
人の話を聞くといっても、
教室で黙って、手まぜせずに先生の話を聞くこととも違う。
それは、空気を読むことと同じで、生きているうちになんとなく身につけるものでしかない。
なんとなく身につけるものは、なんとなく日々の中で、
周りの大人を真似することでできるようになっていくしかないのだから、
周りの大人がちゃんと子どもの話を聞いてあげるということで示していくしか、方法はない。
子どもはなんとなく時間をもらって大きくなるが、
大人は意識的に時間をあげることが時に必要になる。