12/24 キリシタン遺物資料館

大阪の高槻に、「キリシタン遺物資料館」という、
隠れキリシタンの資料館がある。
戦国時代、キリシタン大名だった高山右近が治めていた土地には、
禁教令が出てからも信仰を守り、
明治時代まで300年近く、
誰にも知られずにキリスト教を守ってきた人たちがいた。
小学生の時に誰もが教科書でみたザビエルの肖像画も、
彼らがずっと蔵の中に隠していたものだ。
そのことは、世界に衝撃を与え、
バチカンからも使節団が訪れたという。

「キリシタン遺物資料館」は、
阪急茨木駅からバスで4,50分乗り、
そこから1kmほど山を入っていった場所にある。
周りをすっぽり山に囲まれた小さな集落だ。
こんな山あいだったから「異教」が他に漏れなかったのだろうが、
こんなところに戦国時代に人が住んでいたことに驚く。
戦国時代の人口は1200万人くらい。
今の10分の1だ。
車も原付きも、チャリすらない時代に、
こんな物流困難な地区に何故、人は住んでいたんだろう。
彼らは、キリスト者だったから辺鄙なところに住んだわけではない。
少し離れているが、山には小さな集落がぽつりぽつりある。
なぜ、人は、わざわざ不便なところに住んだのだろうか。

そう友人に疑問をぶつけてみると、
「人が住んでるんなら、そこが便利な場所だったんでしょ」
と言われ、膝を打つ。
そうだった。
いまの都会民は、まちには何でもあって、
山には何にもないと思いがちだが、
山には生きるために必要なものがなんでもある。
エネルギー源であり、住宅の材料でもある、木がある。
そして、食べものを生み出し、衣服の原料も育て上げる、土がある。
ないのは「情報」くらいで
山にこそ、人が生きていくためのものが、何でもあったのだ。

都市に住んでいると、
そんな基本もわからなくなってしまう。
そんなことは、基本的な「情報」として知っていたはずなのに、
多くの情報の中に埋もれて、忘れてしまっていた。
情報として知っていることは、
経験として知っていることや、身につけてわかったことに比べて、
とても、脆弱だ。
信用ならない。