1/25 相撲とJUDO

大関・稀勢の里が初場所を制し、
19年ぶりに日本人横綱が誕生する。
この19年、横綱の席に日本人がいなかったのは改めて驚きだが、
相撲界に日本人横綱がいないという寂しさはあまり感じなかった。
日本人横綱が不在だったこの19年間、
日本の国技を守ったのは、モンゴル人たちだった。
朝青龍がヒールになり、白鵬が歴史的な記録を重ねていくことで、
日本の国技はなんとか人気をキープし、
大関の把瑠都や琴欧洲が奮闘することで、
日本の国技は、面目を保ってきた。
この20年間、日本の国技は、
モンゴル人と東欧人によって支えられてきた。

相撲は、国技としてのしきたりを守ったまま、
外国人を「プレイヤー」として積極的に取り入れる形で”国際化”してきた。
それに対し、柔道はスポーツ化するという方法で、
”国際化”の道をたどってきた。
もともと武道だった柔道は、スポーツとして世界に広がっていく過程で、
欧州主導のルール変更を受け入れたり、
青色の道着を容認したりしながら、
世界中に競技人口を持つ『JUDO』になっていった。
柔道のように、「スタイル」自体を国際化するか、
相撲のように、「スタイル」は残して、「プレイヤー」を国際化するか。
どちらにしても、国際化を免れることはできない。
そう、大学で先生は言っていた気がする。

もし、相撲界がこれまで、日本人力士しか認めていなかったら、
今頃、相撲人気はどうなっていただろうか。
案外、観客動員を大幅に減らしながらも、
「もう21世紀だからね。裸でぶつかりあう時代じゃないでしょ」
と、不人気を、時代のせいにして、
相撲の凋落を、簡単に受け入れていたのかもしれない。

国際化の波は、武道だけに限らない。
料理の世界も、同じ。
ラーメンにしろ寿司にしろ、日本料理は、
その土地土地のスタイルを取り入れながら、
どんどん世界に打って出ている。
ニューヨークではNYスタイルの寿司を、
パリでは、パリスタイルのラーメンを提供して、
各地で人気を博している一方で、
海外に出ず、日本に残ったままの日本料理もある(例えば、そば)。
今後の人口減少によって、そば界が危機に瀕した時、
そば界は、「プレイヤー」としての外国人を受け入れられるだろうか。
そば界は、そばを残すために、
「そば屋の店主はほぼ外国人」という未来を自ら、選択できるだろうか。

日本では、すでに、「人口減少」「高齢化」「少子化」
という言い訳は、用意されている。
その言い訳を使わないためには、どの業界も、
スタイルを変えて世界に出ていくか、
日本に残って外国人プレイヤーを受け入れるか。
その二つしか、道は残されていない、のかもしれない。