1/3 デジタルアート

去年、ピカソのキュビズム作品に66億円の値がついた。
誰が落札したのかは知らないが、
落としたのがどこかの個人であれば、
今後、一部の人しかそのピカソの作品を見ることはできなくなる。
僕はモノに対する所有欲がないので、
アート作品を手元に置いて、
毎日眺めていたいという気持ちが、あまりわからない。
だが、ピカソの作品を、自分で所有したいと思う人は
たくさんいるのだろう。

デジタルアート作品を作っている「チームラボ」という集団は、
シリアルナンバーをつけて、アート作品を販売している。
作品がデジタルで、原理的に複製ができるため、
制作時に、複製枚数を決めて、価格を決定し、販売するという。
デジタルには、「オリジナル」というものがない。
作ろうと思えば、何枚でも複製できる。
物理的に絵の具を載せたモノとしての絵画とは、
「オリジナル」や「本物」の考え方が、根本的に違う。

今後、アートが複製できるものになり、
「オリジナル」や「本物」の考え方が変わってくると、
所有の仕方も変わっていくのだと思う。
音楽も、以前は一部の上流階級しか一流のオーケストラを耳にできなかったが、
カラヤンが積極的にレコード化を進めた結果、
今では、誰でも簡単に、世界一流の音楽を聴けるようになった。
今、一流のオーケストラを個人で独り占めして、
自分だけが楽しみたいと思う人は、いない。

CDのように、簡単に複製できると、
「オリジナル」を独り占め(所有)する意味がなくなる。
コピーできるものは、「所有」の対象にならないのだ。
逆にいうと、コピーできないもの、
「オリジナル」に価値があるものは、
「所有」の対象になる。
例えば、人。
人は、コピーできない。
人は「オリジナル」なものだ。
だからこそ、人は人を束縛し、
人に渡したくない、自分のものにしたい、と思う。
人の愛で方は、複製できるデジタルアートや音楽とは違うのだ。

ただ、もし今後、生命テクノロジーの進化とともに、
身体の一部や記憶のようなものが、
どんどん複製できるようになると、
恋愛における「所有」の考え方も変わってくるだろう。
人を「所有」することに意味がなくなっていくのかもしれない。
そうなれば、
「結婚」が、人が人を「所有」していた、
古く狭い時代の制度として後々、語られるようになるのかもしれない。