4/27 弘法大師、ペンを選ぶ

 

「こちらにお名前と連絡先をお願いします」
店員さんにペンを渡される。
これまで何千、何万回書いたかわからない名前を
すらすらと紙に書く。
苗字を書き終えたとこで、はたとペンが止まる。
ヘタくそ。
超絶ヘタくそ。
僕の字がまずいというわけではない。
ペンが安い。
こんな安いペンで、いい字は書きようがない。

弘法、筆を選ばずというが、
そりゃ弘法さんは上手いから選ばないだろうが、
大抵の人は筆を選ぶ。
本当に選んでいいなら、
迷わず高いペンを手にとるに決まっている。
なのにこのペンは、ダメすぎる。
安すぎる。100均だもの・・・。
名は体を表すように、字は体を表す。
自分で書いた字を見て、これは俺の書いた字じゃねえ・・・
と言いたいが、紛れも無く俺の書いた字だ。
むしろ、その字こそが、俺だ。
紙に書かれた字は、自分が思うよりも整っておらず、
丸みがかって堂々としていない。
イメージとのギャップに情けなくなってくる。

ただ、これは一にも二にもペンが安いことが原因だ。
モンブランの万年筆なら、
「やはり俺はどこに出ても恥ずかしくない人間だな」
と思わせてくれる字を書かせてくれる。
差し出す方は、たかがペンと思ってるかもしれないが、
ペンで、自尊心を高く保てるかどうかかかってるので、
世論をあげて、
”店で用意するペンは1000円以上キャンペーン”
を張ってほしい。
たかがペンにそんな金はかけれないと
思われるかもしれないが、
日本で日々紙に書かれる膨大な文字が、
膨大な汚い文字になるか膨大な美しい文字になるかは、
逼迫した社会問題だ。
不動産会社の契約用紙を目にする店員さんも
歯医者さんで埋められた問診票を確認する歯科助手さんも
書かれた文字が美しければ、心が晴れやかになるはずだ。
これは、日本中のコピー用紙が
ブーゲンビリアに代わるくらい、
人々の気持ちを晴れやかにしてくれる変化だ。
「なんか最近、世の中の人、みんなニコニコしてない?」
そういう、社会を下から支える効果が期待できる。
そう思えば、たかがペンとは言えないだろう。

日本以外に、学校で習字を教えている国は、ほぼない。
文字を美しく書こうと意識して書いてる人間は、
この世界にそう多くはいないのだ。
文字を美しく書こうとする日本人、これは誇っていい。
世界中のメディアが東京オリンピックで来日した時に、
大戸屋の”順番待ち客リスト”に付けてある
ペンの質の高さに驚くだろう。
「たかが食堂が、モンブランだと・・・」

”店で用意するペンは1000円以上キャンペーン”。
同意してくれるかな?

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