4/5 デモの効果

金曜の夕方、どこからかデモ行進の声が聞こえてくる。
「原発、反対!」
「ゲンパツ、ハンタイ!」
「再稼働、反対!」
「再稼働、ハンタイ!」
主張の中身よりも、デモというものに惹きつけられる。
日本人はなぜ、デモをあまりやらないのだろう。
表立って主張するのは、日本人の得意なところではないだろうが、
不満がたまっていることはウェブの中の罵詈雑言を
みてれば、誰でもわかる。
不平はあるが、デモはしない。
日本に比べて、しっかりとした批評精神を持つように
教育される欧米の国でデモが盛んなのは、
自分の意思表明ができると思うからだろう。
日本でデモを遠目に見てしまうのは、
デモへの参加が意思表明できる機会というよりも、
自分の意見を持たないがために誰かの意見にふらふら
ついていったように映ってしまうからだろう。

その原因は、社会学的には色々あるんだろうし、
大勢が集まって声をあげること自体には
意義があると思うが、
デモが現在効果的かといわれると、そうは思えない。

不満はあるけどデモは効果的でないなんて、
なかなかどうして困ったもんだなあ、と思いながら、
そのデモ隊とすれ違った後も家路を急いでいると、
別のシュプレヒコール(唱和)が聞こえてくる。
「原発の再稼働、絶対、反対!」
「・・・。」

あれ。
リーダーの後に続いて、唱和される声が聞こえない。
さらに進んで行くと、少し汚れた格好をした男性が、
電力会社の本社に向かって、一人でスピーカーも旗も持たずに雄叫びをあげている。
「原発の再稼働、絶対、反対!」
もう声が枯れていて、全然、声がビルの上まで届いていない。
自動ドアの中に立っている一階の守衛さんにも
聞こえていないみたいなので、
最上階のいるはずの偉い人には、
小鳥のさえずりほどにも聞こえてないだろう。
道行く人も、見てはいけないものを見るような目で
足早に通りすぎていく。

たったひとりのデモ行進。
ただ、このデモは、なんだかいい。

数百人のデモ行進より、こっちの方がよっぽど効果的に思える。
誰も従えずに、一人で、十数階建ての堅牢な電力会社ビルに対して、
届かない声を何度もぶつけている。
その声は自動ドアすら超えないし、

そもそももう夕方で、定時過ぎてるから、電力会社の人は飲みに出てるに決まってる。
今日は金曜だ。

誰もいないビルに向けた一人ぼっちのシュプレヒコール。
(後に続く人がいないからシュプレヒコールにすらなってないんだけど)

そっちの方がよっぽどドン・キホーテみたいで訴えるものがある。
人が大勢集まらない方が、その声が遠くの誰かの心に届く。
そういう逆説も、あるんだな。