5/6 小さな違いをあげつらい

目の大きい人がいる。
目の細い人もいる。
切れ長な目の人もどんぐり眼な人も、
タレ目もキツネ目もいる。
でも、目が大きいといっても、メガネザルほど大きくはないし、
キツネ目っていっても、キツネほどキツネ目ではない。
顔が違うといってもたかがしれているのに、
みんなが、小さな顔の違いを気にしてあげつらいあうのは、
顔に対するみんなのセンサーの感度が、抜群にいいからだ。
少しの違いも見逃さない、高性能センサーだ。

『テラフォーマーズ』という、実写化もされた漫画では、
主人公たちが、異星人をやっつけるために、虫の能力を人間に注入する。
手術によって、普通の人間が、「スズメバチ人間」や「バッタ人間」になるのだ。
もしも将来、そんな技術が当たり前の世の中になったら、
プチ整形で二重にするなんてマイナーチェンジじゃなく、
メガネザルの目を人間に、手術で移植できるようになるかもしれない。
そうなると、今、僕らが気にしている目が大きいとか小さいとか、
鼻が低いとか高いとか、エラが張ってるとか張ってないとかは、
誰も気にしないような「僅かな違い」になるだろう。
本当の魚のエラを移植した人を前に、
「私、エラが張ってて・・・」なんて、いえない。

将来、そこまで世界が変わらなくても、
僕らは、日本を出て、外国の世界に目を向けるだけ、
日々気にしているような、些細な違いを気にすることはなくなる。
「もっと白くなりたい」と悩む日本の女の子は、
生まれつき色素の薄いスカンジナビアの女の子を目にすると、
「白い肌って何でいいんだっけか?」
と考えはじめるだろう。
違う「違い」をもってきて、「違い」の違わなさに気づく。
たぶん、「教養」って、そういうことに気づくために大事だったりするのだろう。