6/16 きききかんをきこう

世の中には、目で理解する人と耳で理解する人がいる。
普段はあまり意識されないが、
目と耳は感覚器官として全然違っていて
目からはビジュアルが、耳からは音が入ってくる。
それらを統合(?編集?)するものとして脳があり、
そこが言葉の領域だ。
誰かが「さんま買ってきて」と耳で聞いても理解でき、
「さんま買ってきて」というメモを目にしても理解できる。
これはすごく不思議なことだ。音と文字は相当違うのに!
こういう話はほぼ養老先生経由だが、養老先生は、
例えば猫は、Aさんが呼ぶ「ミケ」とBさんが呼ぶ「ミケ」を
別物として認識していると言っていた。
人間は、意味がわかるので、Aさんが言う「さんま」も
Bさんがいう「さんま」も同じ「さんま」だと思うが、
意味を解さない動物は、「音」としてしか入力しないので、
Aさんの「ミケ」とBさんの「ミケ」は
違う「音」にしか聞こえない。
それでも猫が呼ばれたらすりよってくるのは、
自分には幾つかのアダ名があるくらいにしか
思ってないからだろう。

「世の中には、目で理解する人と耳で理解する人がいる」
と書いたが、正確には「目で理解するのが得意な人と
耳で理解するのが得意な人」だ。
僕は明らかに前者で、
目の前の人がつらつらと説明をしてくれていても、
「まとめたのあるでしょ?一覧見せてよ」と言ってしまう。
紙を見ながらしゃべってる人なんか最悪で、
「その紙見せりゃいいじゃん。お前が読むな読むな」
と思ってしまう。

逆に僕の知人の中には耳で理解するのが得意な人がいて、
どれだけの文章を読むより、人の話を聞いて理解していた。
人と話をした後に、「だいたい、わかった」と言っていたが
そのことは人と話す前から知っていたはずだった。
その人は音として聞くことで、知っていたことを初めて
「わかった」のだ。
養老先生は「わかる」は「かわる」ことだと常々言っていた。
何かが分かったことで、見方が「かわる」感じ方が「かわる」
行動が「かわる」。それが「わかる」ということだと。

目で理解する僕も、耳で理解する知人も、それによって
「納得する」「腑に落ちる」ということだ。
情報としては音も文字も同じなので、どちらの情報が
その人にとって「しっくりくる」かという違いだ。

これは、人によって重要な違いなので、
意思疎通が大切な会社などでは、星座や血液型を知るより
効き器官(目/耳)を知ってもらった方がいいかもしれない。
そしたら、課長に話を聞いてもらえなくても、
「だめだめ。課長にどんだけ資料見せても効果ないんだから。
 課長、「耳」の人なんだから」
と、もっと業務がスムーズになるかもしれない。