6/7 子どもへと至る道

昨日、集団ヒステリーの話を書いていて、
ふと、ムツゴロウさんを思い出した。
動物は、意味や言葉を理解しないがゆえに、
言語以外を感知する能力が人間より高い
(というか人間は言葉と引き換えに、その能力を失った)。
その動物と心をかよわせるためには、
非言語のコミュニケーション能力が必要になる。
ムツゴロウさんは言わずと知れた天才
(=通常の尺度でははかれない人)なので、
象でもライオンでも恐れず友だちになれる。
メスの熊に惚れられるなんて、ざらだ。
あの人を人と言ってははいけない。
あれはムツゴロウさんという「生き物」だ。

ムツゴロウさんが言っていたのか定かではないが、
動物は鼻がいいので、恐怖や緊張が匂いでわかるという。
人がどんなに虚勢を張っても、フレンドリーな態度を示しても、
内心怖がっていると、匂いでばれて、
動物は心を許してくれないらしい。
ああ、なるほど。子どもと同じだなと思った。
子どもも言葉が発達していない分、
非言語のセンサーを使って状況を理解している。
大人よりも「鼻」が利くのだ。
鼻で、その大人がどういう人間か、
どういう感情に支配されているか、嗅ぎ分けている。
大人社会の虚飾を廃したその人の「まんま」が見える。

子どもは、既成の価値にだまされない「まんま」が見えるので、
岡本太郎は子どもの自由な絵を絶賛したし、
芸術とは、一度大人になった(技術を知った(?))後に、
再び子どもの域に戻ることだというようなことを言っていた。
それはあらゆる道に通じる世阿弥の「初心忘れるべからず」
だし、利休がいうところの、
「稽古とは 一より習ひ 十を知り
 十よりかへる もとのその一」
ということだろう。
言葉を知ってしまった人間が、「まんま」を視るのは難しい。