7/24 軽かった子どもの時代

子どもの頃はまったく知らずにいたけど、
大人になって初めて知ることってのは、たくさんある。
そんな話で盛り上がっていたら、ある人が
「自分の名前は”岡本太郎”からつけたって親に聞かされてたん
ですけど、ほんとは、隣の犬の名前からつけたらしいんです」
と言っていた。
”タロウ”君。
可哀想に。

最近はキラキラネームなど、親が子どもの名前に凝るが、
あまり凝っても、しょうがないんじゃないかと思う。
犬の名前はあんまりな気もするけど、
もしかしたら犬くらいの名前で丁度いいのかもしれない。
最近は、犬も”タロウ”とか”ぽち”とかではないだろうし。

そう思うのは、期待はずれの名前が多いからだ。
今まで会ってきたユウキ君で勇気のある子はいなかったし、
今まで会ってきた優子さんで優しい人はあまりいなかった。
人の名前に関する限り、「名は体を表わ」さない気がする。
親は子の名前に思いを込めすぎない方がいい。
どうせ、子は親の思った通りには育たない。

以前、70年代のドラマかなにかを見ていて、
こんなシーンがあった。
7,8人兄弟の家族に、出戻りの姉さんや丁稚もいる大所帯の
父親が、年の瀬、子どもに用事を頼みながら台所に入ってき、
末っ子の顔を難しい顔で眺めて言う。
「あー、お前、名前なんだっけ?」
「三郎だよ、父さん
「あー、そうだったそうだった、お前は三郎だった」

子どもの名前を忘れるくらい子どもが”軽い”時代。
親に名前を忘れられてもケロッとしてる”軽い”子どもの時代。
歴史の上では、ほとんどがそんな時代だった。
重いのと軽いの、どっちがいいとは言わないが、
自分を追い詰めて、自分を傷つけている子どもを見ていると、
なんでこんなに子どもの時から「生」が
重くなっちゃったんだろうなあと思う。