8/22 ニューヨークへ行きたいか

「全国高校生クイズ選手権」というテレビ番組が以前あった。
もしかしたら、今もやっているのかも知れない。
「みんな!ニューヨークへ行きたいかあ!」
そうやって、高校生がクイズでアメリカを目指す。
いや、それは違う番組だったかもしれない。

あまり詳しくは知らないが、
高校生クイズは、元々知識を競っていた。
高校生達は、どれだけ知識があるかの勝負を繰り広げていた。
しかし途中で、知識から知力の勝負に変わった。
ただ知っているだけじゃなく、
それを応用しないと勝てない仕組みになった。
それから間もなくして、体力の要素も加わるようになった。
長い距離走って、問題のカードを取りにいくような、
クイズ研究会の部室にこもっているようなガリ勉には
不利な条件が課せられた。
その後、運の要素も加わった。
知力、体力で優っていても運がなければ敗退という、
なんだかあからさまに理不尽な仕組みが追加された。
グローバリゼーションという言葉が流行っていた時には、
決勝でイギリスやアジアの高校生と戦っていた。
問題は英語で出題されていたが、
日本の高校生が強かった覚えがある。
なにしろ「高校生クイズ」というフォーマットが
どうみてもメイドインジャパンだ。
フェアではなかった。

頭の良さを測る指標はたくさんあり、
クイズという指標で測れることはそんなに多くはない。
だからといって問題を複雑な演習にすると、
視聴者がついていけない。
あれはあくまで、ライオン提供のエンターテイメント番組。
ほどほどにわかりやすい問題設定が求められる。

ただ、クイズと違って、この世は一問一答でできてはいない。
一つの問題に一つの答え。そう単純な仕組みではない。
高校を出たら、福留さんも福澤さんもラルフさんも、誰も
「問題です」とは言ってくれなくなる。
社会では、自分で問題は何かを考えなければならない。
問題を考えて、回答を考える。
もしくは、間違った回答から正しい問題を考える。
「全国大人クイズ選手権」では、回答者が出題者であり、
出題者が回答者なのだ。