9/11 まんなかにあるもの

日本の中心には何もない。
大学時代、井の頭線渋谷駅から街を見下ろしてそう思っていたら
河合隼雄の「中空構造日本の深層」にそういう話が書いてあり
なるほどなあと思った。
天皇論や組織論や宗教論でも「中心」に関する話は出てくる。

ヨーロッパの街の中心には教会や聖堂がある。
街には中心があって、反対に、辺境もある。
日本の街に中心はない。
渋谷の中心を探しても歩いても、原宿か恵比寿に出るだけだ。
強いて言うなら、駅が中心だが、
駅は他の街に行くための要所であって目的地ではない。
「機能」だけはあるが、「実体」としては何もない。

「実体」がなく「機能」があるということは、
中心は何でもいいということでもある。
それはとても「観念的でない」。
中心は何でもいいからあるということにして、
場合によっては中心は別になくてもいいとして、
とりあえず進める、とりあえず事を動かす。
それを最も重要視する。
それはとても「具体的」な考え方だ。
街の中心に何があるのか、
それがいかに重要で神聖なのか考えるのではなく、
とりあえず街の中心に向かうこと、もしくは
ある街から違う街に向かうこと、その「機能」を重要視する。

「具体的」。
この国が具体的な国だとしたら、
具体的に生きる人の方が生きやすい国なのかもしれない。

「女は具体的に生きている」。
そう、ある人が言っていた。
僕もそう思う。
ならば、この国では女の方が生きやすいということなのだろうか。

カフェで隣になった女性が、彼氏に今日一日あったことを話している。
小一時間、その日見たこと、聞いたこと、言ったことを
ずーっとしゃべっている。
僕がその女性だったら、その話は1分で終わらせる。
もしくは、1つも話さない。
たいして話すべき内容は彼女の話には見当たらない。
そのくらい女性は、具体的に話をする。
具体的に、生きている。

カフェを出て、品川駅のエキナカを通り過ぎる。
今日も、多くの女性が、「具体的に」、買い物をしている。
6個入りにしようかしら、12個入りにしようかしら。

つぶあんにしようかしら、こしあんにしようかしら。
やっぱりラスクにしようかしら、いや、さっきみたマカロンがおいしそうだったな。
なんて具体的な生き物だ。

あれ。

まてよ。
エキナカ?
ふむ。
いつの間にか日本にも、街の中心に、

「要所」ではなく「目的地」のようなものができているようだ。