9/17 マクロな眼

「世界一周がしたい」という若者がいた。
世界一周なんて途中で飽きるんじゃないかと思うが、やりたいなら行けばいいと思う。
世界一周しても「世界」のことはわかるわけじゃないし、
行った国の数が100を超えても、
あまり「世界」への理解は深まらないと思うが、
そのことがわかるだけでも、行く意味はあると思う。

中学生の頃、社会科の先生は言った。
「ここがプレーリー。
 ここが、グレートプレーンズ」

中学生の僕は、あの説明で、アメリカの地理をわかったことにしていたが、
あれでわかったことはなんなのだろう。
あんな遠くのことよりも、自分の学校がどんな地層の上に立っていて
そこの土は何の作物に適していて、
どういう気候に育まれているのかを教わった方がいくぶんかよかったと思うが、
中学校で習った地理は、世界や日本の、大きな話だった。
マクロな視点は何かをわかった気にさせるが、

実のところ、何もわからせていないに等しい。

夜の福岡空港から羽田に飛ぶ飛行機に乗って、
窓からまちを見下ろしていると、日本の街々は灯りに照らされている。
都市は煌々と明るく、田舎はただただ暗い。
海岸沿いの道路の灯りは、くっきり島の形を浮かび上がらせ、
半島に点在する家々の明かりは、ぼうっと陸の形を照らす。
愛媛の上空あたりを飛んでいると、
飛行機の窓からは、はっきりと四国の形が見え、

北の方に、広島と岡山の明かりに照らされた山陽の形が浮かび上がる。
更に奥には、漆黒の中で、まったくつかめない山陰の形があり、
西に、通りすぎた北九州の形と、東に、これから通る関西の形が見える。
はっきり、くっきりと日本の地形が窓から見える時、
飛行機乗りに憧れる人の気持ちがよくわかる。
ああ、これが、マクロか。
全体を把握するのは、気持ちいい。

飛行機の窓越しに地上を眺めたがるのは大人よりも子どもで、
中学生は、手で触れられる田舎の土の話よりも、
異国の大きな地理の話を聞きたがる。
子どもはマクロが好きだ。
マクロにはロマンがある。
逆に言うと、マクロは子供っぽいとも言える。

世界一周をしたい若者は、世界一周する間に、
異国のたくさんのミクロに触れてほしい。

世界一周という言葉はマクロであって、
それは、頭の中だけの話。
どこにも、「世界」なんて国はないんだから。
実際に手で触れられるのは、各国のミクロだけ。

頭の中がマクロでいっぱいだと、
目の前に新しいことがやってきても、
「世界」を求めて、先へ先へと進んじゃいかねないからね。