9/4 本悲観論

本は今後なくなる。
そんな「本悲観論」はインターネットが広まり、
人々が当たり前のようにネットで文章を読み、
本が売れなくなってくるとますます強くなった。

いや、インターネットがいかに普及しても本は死なない。
そういう強靭論も聞かれるし、
僕も本という形態がなくなることはないと思うが、
なかなか本の未来は明るくない。
色んな人が並べ立てる「本の強み」も
確かに間違ってはいないんだろうけど、
膝を打つような理屈がない。
本の良さをいまいち説明できないでいるみたいだ。
言葉を運んでくれる本の良さを言葉で語れなかったら、
何を言葉で語れるのだろう。

本に比べてインターネットは、開かれている。
ウィキペディアは誰でも編集可能だし、
ウェブページは簡単に訂正・追記ができる。
本のように完成品を読むのではなく、
常に上書き、上書きしている文章を読んでいる。
インターネットは完成しない。
終わることがない。

そんな終わらないネットに対し、本はちゃんと終わる。
著者も書き終わるし、読者も読み終わる。
根気よく読んでいれば、「カラマーゾフの兄弟」だって、
「失われた時を求めて」だって、
「こち亀」だって「ガラスの仮面」だって、
作者に付き合ってれば、いつかは終わる。
終われば、ちゃんとまた始めることができる。

「死」は最高の発明だと言ったのはスティーブ・ジョブズで、
終わりがあることの意味を晩年説いていた。
しかし本と違ってインターネットは終わらない。
終われない。終わらせない。
ウェブ上の記事を読んでも読んでも、下から下から
どんどん新しい記事が出てくる。
全然、終わらない。終わらせてくれない。
ネットは、僕らの「終わりなき日常」をずーっと続かせる。

インターネットは開かれた知で、
人類全体の知の向上には大変役に立つシステムだと思うが、
個人の知の向上にはあんまり適していない気もする。
まだ、始まったばかりのシステムだからなんとも言えないが、
本が消えてインターネットだけが「知」の手段になったら、
「知」の意味合いも変わり、本との比較もなくなり、
問題にされなくなるかもしれないので、言っておく。
「インターネットは人類全体の知の向上には
  役立つかもしれないが、個人の知の向上には
  あまり役に立たない可能性がある」
その場合の「人類全体」って誰のことを言っているんだろう。
「人類全体」が賢くなるなんて、んー、そんなことがあるんだろうか。