IWC脱退

日本がIWC(国際捕鯨委員会)から脱退した。
鯨を商業目的で捕獲したい日本と、
あくまで調査目的以外の捕鯨を認めない国々が対立した形だが、
日本が国際的な組織を真正面から辞めていくのは、
珍しいように思うが、どうなんだろう。

IWCは、今や捕鯨を取り締まる反捕鯨組織のように見えるが、
委員会の中には、日本と同じように、
商業捕鯨を前向きに考えている国々も半数近くはいるらしい。
ただ、IWCが少しでも「親捕鯨」を利するような決定をするためには、
全体の4分の3の票が必要で、
それはどう考えても今の状態では無理なので、日本は脱退の道を選ぶのだという。

今や「反捕鯨」の急先鋒であるアメリカやイギリスも、
以前は捕鯨国であったのだが、
エコロジー思想の浸透とともに、「捕鯨=悪」のイメージが社会にできあがってからは、
急進的な「反捕鯨」国になった。

日本は島国ということもあり、古くから鯨との関わりがあって、
食用としてだけでなく、鯨の髭や骨、油なども広く、人々に重宝されてきた。
捕鯨を生業としてきた地域や、
たまたま鯨が座礁したことにより、村に恩恵がもたらされたような地域では、
「鯨塚」や「鯨墓」を建てて、人々が鯨を鎮魂してきた歴史もある。
鯨は、地域によっては、その巨躯から信仰の対象にもなり、
外来から福を運んでくる神として、「えびす」と呼ばれることもあったという。
食文化とは、その地域の人間が何を食べてきたかでなく、
人間と生き物がどう関わってきたかを含む大きな概念なのだ。

「捕鯨/反捕鯨」問題は、
そういった各文化が持っている、異なった「食文化・食習慣」を尊重するべきなのか、
それとも、それぞれのローカルな文化の価値観を、
世界で主流の思想・見識に合わせていくべきなのかという問題であり、
日本の鯨食や韓国の犬食は、
なにかあるたびに、世界からの批判にさらされる。

世界中が西洋化されている現代では、いつも、
「グローバルな価値観に合わせろ」と言うのは西洋の国々で、
ローカルな価値観をグローバルに合わせなければならないのは、非西洋の国々なので、
「可哀想だから、犬食うな!」と韓国人が言われることはあっても、
「可哀想だから、アヒルの口に無理やり餌突っ込んで、肝臓を肥大化させるな」と
西洋のフォラグラ好きが批判されることは少ない。
非西洋国の、ヒンドゥー教徒は牛を神聖な動物として食べないし、
イスラム教徒は、豚を不潔な動物として食べないが、
彼らがハンバーガーやステーキを食べる西洋人に対して、
「牛、食うな」とか「豚、食うな」と、
大きな声で非難するようなことはない。

よそはよそ、うちはうち。
そう、彼らは思っているのだろう。
食文化には多様性があり、
世界には様々な価値観があることを知っていれば、
よその食卓にけちをつけることはないように思う。

いや、それでも、それは、現代が西洋主流の時代だからであって、
もしインドやイスラム、日本が世界の主流国になって、
世界の食のスタンダードを決めれるようになったら、
彼らも、世界の隅々の食文化にまで口を出し、
「牛は神聖ゆえ、絶対に食べるな」とか
「土用の丑の日は、絶対にうなぎを食べろ」
と強制するようになるのだろうか。

今、ヨーロッパの国々やオーストラリアが、捕鯨に強く反対する原因が、
強者の奢りにあるのか、キリスト社会の特徴に由来するのかはわからないが、
僕の友人は、彼らが鯨やイルカを必要以上に神聖化する原因を、
「子どもの頃から、ラッセンの絵ばかり見ているから」と言っていた。
もし、そうだとしたら、ラッセンの絵を頻繁に目にするようになった日本人も、
早晩、「捕鯨国」から「反捕鯨国」に鞍替えするかもしれない。
それならそれで仕方ないと思うが、
鯨をかわいいと思うことと、
他国の鯨食を否定することは、分けて考えてほしいなと思う。