中庸

今は過度なことが嫌がられて、皆、「適度」というか「バランス」というか、「程々」であることを求めるけど、何が「適度」なのかってのは、極端に触れたことがないとわからないもので、ギターの弦を張る時に、適度に張れている状態ってのは、緩くもなく張りすぎてもいないってことで、でもそれは、緩すぎてビロビロだったり、張りすぎて弦が切れたりを経験しないとわからないもの。
その「極端」を経験せずにいう「適度」は「適度」ではないとシッダールタさんはその人生でもって示しているのだけど、ゴータマさんがそこでいう「中庸」ってのが、本当に極と極の「真ん中」って意味で言っているのかどうかはわかんない。
アジアを「東洋」っていって、欧米を「西洋」っていうけど、じゃあ、世界の真ん中はその間のトルコとかアフガニスタンとかなのかっていったらそんなことはなくて、地球って円なんだから、そこに「中心」なんかなくて、もしあるとすればそれは「球」の中心である地軸であって、地球の表面だけで語ってても「中心」は出てこないって可能性はある。
だから「中庸」ってのも、「東」とか「西」とか相対的な話をしてても本当は埒が明かなくて、そういう、ある方向のモノサシが消えてなくなった時に出てくるありかたについて言ってるって可能性があるのではないかと思うけど、そのへん、ゴータマの話をちゃんと読んでないので、ようわからん。

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