僕の父親は商売人だった。
商売人はお客さんから金をもらう。
多くのお客さんがお店にくれば、お金は増えていくし、
多くのお客さんがお店に来なければ、お金はなくなっていく。
お金がたくさん貰えるかどうかはお客さん次第。
親を見ていると、自然とそういう考え方になっていく。
「金が欲しいなら、リスクを取って、もう一軒、店を出せ」
稼ぐとは、そういうことだと思って大きくなった。
僕の友達の父親は、政府系国際支援団体で働いていた。
政府系国際支援団体は、政府からお金をもらう。
政府系国際支援団体の職員は、団体から予算をつけてもらう。
意義がありそうだという活動には、予算がついて、
役に立たなそうな活動だと思われれば、予算はつかない。
お金がたくさん貰えるかどうかは、活動の意義を伝えるレポート次第。
彼は、親を見て、自然とそういう考え方をするようになっていた。
「金が欲しいなら、上の人と仲良くなって、良さげなレポートを書け」
稼ぐとは、そういうことだと思って、あいつは大きくなっていった。
僕の同級生の父親は、坊さんだった。
坊さんは檀家からお金をもらう。
檀家がたくさんいれば、家を増築できるし、
檀家がお金を渋れば、大学の学費も貯金から出すことになる。
お金がたくさん貰えるかどうかは、檀家次第。
彼は、親を見て、自然とそういう考え方をするようになっていった。
「金が欲しいなら、とりあえず檀家に頼め」
稼ぐとは、そういうことだと思って、あいつは大きくなっていった。
お金の稼ぎ方は、一番身近な大人に影響されることが多い。
こればっかりは、学校で稼ぎ方を教えても、
ネットで稼ぎ方を調べても、
すぐに変わることはない。
自分が食ってこれたのは、
お客さんから、政府から、檀家からもらった金があったからだということが、
体に染み付いているからだ。
体に染み付いたものは、なかなか取れにくい。
社会が変わり、変化の必要性があっても、
なかなか、染み付いたものは取れにくい。
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