輝く条件

年末と言えば大掃除
ということで、一年ぶりに職場の窓を磨くことになった。
今の職場は三階にあるので、
窓を裏側から磨くとなると、足場もなく、ちょっと怖いのだけれど、
一年に一度のことなので、丁寧に磨いていく。
アルコールを使って、遠くから眺めなおしながら、
ピカピカになるまで何度も同じ場所を丁寧にこすり、
午前中いっぱいを使って、納得のいくまで磨き上げた。
その後、お昼を食べて、午後の二時頃、
パソコンを打ちながら窓を見上げてみると、
今日一番の日差しで照らされた窓は、
雑巾で磨いた跡がくっきりと残っており、すごく汚かった。
午前の弱い日差しではピカピカに見えた窓も
午後一の強い日差しの下ではまったく通用しなかった。
それを見て、がっくり肩を落としたが、
また、今度、時間がある時磨き直せばいいやと思い直す。

ある条件下でよく見えていたものが、
違う条件下ではまったくよく見えなくなることがよくある。
現役を終えた後の野球選手とか、
私服姿の野球選手とか、
野球以外の会話をしている野球選手とか。
球場の外で彼らを見ると、
グラウンド上のあの輝きはなんだったんだと疑いたくなる。
どんなに光り輝く舞台を持っている人でも、
輝く条件を満たしていない時はまったくもって輝いていない。

大人は子どもよりも客観的に自分を見れるので、
どの場面で自分が輝くのか、自分の魅せ方を分かっている。
それに対して、子どもは自分を客観視できない分、
どの場面で自分が輝いているのかわからないし
わかっていると思っていても、間違っていたりする。
ただ、子どもは自分を客観視できない分、
自分が輝かない場面であっても、一生懸命やろうとすることがあり、
その姿に、大人は、自分たちが失った輝きを見る。
大人は、どんなに必死こいてあがいても、
輝かない舞台では輝かない。
頑張れば頑張るだけ滑稽になることだってある。
しかし、子どもは、ただ頑張るだけで輝くことができる。

昨日、夕方になって雨が強く振り始め、
大人の僕は、車で濡れることなく帰路についたが、
車の窓から見えた一人の男子高校生は、
雨に濡れすぎて役に立たなくなったカッパを脱ぎ、
向かい雨のなか、立って自転車を漕ぎ、
前へ前へと、力強く、大きな橋を登っていった。
その姿が、あまりにも正しい”青春のこぎ方”だったので、
なんだか、こころが弾んでしまった。
自分を客観視できない子どもは、
自転車をこぐだけで人に輝きを見せることができる。
なんのとりえもない田舎で、
つまらない鈍色の日々の中を過ごしていると本人が思っていたとしても、
気づかないところで、一瞬の輝きを大人に届けていることが、子どもにはある。

 

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