10/14 平成以降の妖怪

子ども向け映画は子どもの休みに合わせて作られる。
夏休みと年末年始。
「妖怪ウォッチ」の第三弾映画も年末に公開されるらしい。

「妖怪ウォッチ」を見ていると(あまり見てないけど)、
子どもの生活から自然って完全に消えたのかなあと思う。
妖怪は、昔から人間世界ではない世界への畏怖の象徴だった。
少し前の妖怪マンガ「ゲゲゲの鬼太郎」でも、
妖怪は、ぬりかべであり、子泣きじじいだった。
ぬりかべは、水木しげる先生が実際にジャングルの中で
出会った妖怪だし、子泣きじじいも、
山を歩く際には気をつなければならない妖怪だった。
妖怪は山や川などいつも、闇の中にいる奴らだった。

ところが「妖怪ウォッチ」には闇が出てこない。
終始画面が明るい(妖怪も明るい)。
しかも、そこに出てくる妖怪は、
人に憑いて、場をじめっとさせるドンヨリーヌとか、
余計な一言を言わせるダソックスとか、
人間の心に関する妖怪ばかりだ。
人が恐れるものは今や人の心のみなのだろうか。
確かに普段の生活から実質的な闇が消えて、
子どもが怖がることといったら人くらいかもしれないが、
人は人を「恐れ」ても、「畏怖」したりはしない。
「畏敬の念」も当然抱かない。
妖怪が子ども時代に「畏敬」を教えなかったら、
誰が「畏敬」という感情を子どもに教えるというのだろうか。
「畏敬」を教えるのに、
妖怪以上の適任者がいると思っているのだろうか。

いや、この指摘は筋違いだときっと言われるだろう。
「妖怪ウォッチ」は、妖怪といいながらただの異次元キャラだ。
目指すは「ゲゲゲの鬼太郎」ではなく「ドラえもん」。
ジバニャンはドラえもんであり、ケイタはのび太なのだ。
ドラえもんの日常にも、同じように自然が出てこなかった。
のっぺりした家と変な土管のある公園だけ。
40年前に、すでに自然は日常から抜けていたのだ。

しかしながら、平坦で味気ない町で過ごしていたのび太たちも、
学校が大型連休に入ると、スクリーンの中で、結構、
太古の昔に行って半裸になったり、
雲の王国や無人島に行ってヒイヒイいったりしていた。
自然を取り戻していた。
だから、平成の妖怪たちも年末年始くらいはスクリーンの中で
闇にまぎれて妖怪然としてくれると嬉しいなと、
昭和までの「妖怪」を繋ぎたい者としては思う。

 

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