11/24 博多駅前陥没事故

福岡・博多駅前の道路が陥没して、一週間で復旧したニュースは、
日本の土木技術の高さと真面目さを世界に知らしめたらしい。
「レバノンでは数年かかる」とか「モントリオールでは五年はかかる」など、
海外からの評価が高かったという。
事故後、情報を迅速に開示したと、市長の評価もあがったそうだ。

今回、報道の傾向がSNS含めて、「事故の責任者叩き」ではなく、
「事故後の迅速な対応賞賛」だったのは何故だろう。
この事故の原因だとされているのは、市営地下鉄・七隈線の延伸工事なのだから、
その長たる市長は叩かれはしても、褒められる必要などない。
自然災害に対する迅速な処理なら賞賛もありそうなものだが、
地下鉄工事が原因なら、人災だ。
しかも、この延伸工事は過去二回、陥没事故を起こしており、これで三度目。
前回の事故時も、原因をきちんと特定していなかったと言われている。
それなのに責任者が批判されず、バッシングが起きないのは、
死者もけが人も、一人もでなかったからでもあるが、
本当の理由は、今回の事故が「穴」にまつわる事故で、
復旧作業が、ただ「穴」を埋めるということだったからだ。

人間は本当に、「穴」を埋めることに興味を持っている。
食欲も性欲も、「穴」に関する欲だし、
ゴルフにしてもビリヤードにしても、「穴」を埋めることが娯楽になっている。
つまらない勉強に子どもを惹きつけるために、ドリルや問題集はすぐに問題を「穴埋め」にするし、
世界中の若者は自ら耳に「穴」を開け、それを塞ぐことをファッションとして楽しんでいる。
恋人を失ってぽっかり空いた心の「穴」を、新しい恋人で埋めようとすることもあるし、
仕事であけた「穴」は、必ず何かで埋め合わせしないといけない。

人は、「穴」をあけ、そして何かで埋めたいのだ。
「穴」はそのままにしておいてはならず、必ず、埋めるか、塞ぐかしなければならない。
「穴」があき、それを人が埋めようとする時、人は何かに夢中になっている。
今回、街の中心地に突如できた巨大な「穴」に博多の人々は興奮してツイートし、
その「穴埋め」のスピードに世界のメディアは驚嘆した。
もし、今回の事故が、ただの崩壊や倒壊だったら、多分、皆の興味は責任者探しと、
責任者バッシングになっていただろう。
世界的な報道も、九州最大都市の真ん中に穴をあけた体たらくを、
「日本技術に大きなキズ」と批判的に伝えたかもしれない。
「穴」だったからよかったのだ。
「穴」だったから、みんなで懸命に埋めることができ、
見ている人も怒らず、じっと見守っていられたのだ。
開けるべきは「穴」であり、塞ぐべきは「穴」だ。

今回、事故の原因とされている地下鉄・七隈線は、開通前から採算性を疑われていた路線で、
開通してみると、見事なくらい市民に利用されなかった。
今現在進行中の工事は、繁華街である天神までつながっているその七隈線を、
福岡の玄関口である博多駅まで伸ばすことで、利用客を増やそうとする計画だ。
しかし、その延伸工事で本当に利用客が増えるのか、採算が取れるのかは、
工事前からすでに結構疑われている。
そして、この事故。
「穴」を開けたことで企業に対して賠償を払わなければいけないし、
次の事故を防ぐためのボーリング調査も実施しなければいならない。
この地下鉄は、市営であり、余分に必要になった金はすべて税金でまかなわれいる。
この延伸工事の経費を回収できずに、地下鉄事業がさらに採算が取れなくなったとしても、
その赤字を「穴埋め」するのは、税金でしかない。
海外メディアが褒めてくれたとしても、ただ、街に「穴」があき、それを塞いだだけで、
マイナスがゼロに戻っただけなのだ。
決して、マイナスがプラスなったわけではない。
ただ、あの「穴埋め」で、福岡市民の心理に何を及ぼしたかは、誰にもわからない。
穴を埋めたことで、なんらかのプラスがあったのかもしれない。

 

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