人と話していてコードが違うなあと思うことがある。
お互い、「国」が、「社会」が、などと話していても、
どうも、話がうまく噛み合わない。
僕がいう「社会」と、彼がいう「社会」は別物のようだ。
言葉にはなにかしら意味があって、辞書にその意味は載っているわけだけど、
その背後には膨大な、これまでに、その言葉が使われてきた文脈があるので、
同じ意味で使っていても、使い方がかなりずれていることがある。
C(コード)で歌いたいのに、
ギターの人がG(コード)で弾き始めるようなものだ。
コード進行自体は間違っていないので、歌えないことはないが、
Cがいつものキーなので、Gで弾かれると、どうもしっくりこない。
コードが合っている人との会話は、前提を確認する必要がないので、楽だ。
その「自由」がどういう状態のことを言っているのか、
その「自由」の利点を語る裏には、どんなマイナスがくっついているのかを、
いちいち説明しなくても、わかってくれる。
話が、さくさく前に進む。
専門家同士が、専門用語ばかり使うのも、そういう理由だ。
特殊な専門用語は、意味以上の情報を含んでいるので、
それをわかり合っている人たちの間では、とても使い勝手がいい。
先日、政治家が「横文字ばかり使うな」とヤジを飛ばされていたが、
横文字(カタカナ)も、専門用語みたいなものだ。
横文字にしておけば、外国で使われている言葉を、
その言葉にくっついているまわりの情報を含んだ状態で、日本でも使える。
便利だ。
便利だが、まだ日本で十分揉まれていない言葉なので、
専門外の人(一般の人)にはうまく伝わらない。
内輪の言葉なのだ。
もともとスポーツで使われていた「パフォーマンス」という内輪の言葉は、
近頃、スポーツ界以外でも聞くようになった。
仕事場で最高のパフォーマンスを見せるために・・・。
自身のパフォーマンスを最大化するために・・・。
これまでスポーツ界で使われてきた言葉が、
一般社会で使われるようになったのは、
社会がスポーツのようなものになってきたからなのかもしれない。
ただ、「パフォーマンス」と言う時に、
そこにスポーツ的な考え方がくっついていることを、
話している人は、あまり意識していない。
そこが横文字と専門用語の違いで、
専門家は、専門用語の文脈を知ってて当然だが、
横文字は、別にそんなこと知らなくても、使っていい。
横文字は、敷居の低い専門用語みたいなものだ。
専門用語ばかりで話す官僚や、横文字ばかり使う起業家は、
なんだか信用に欠ける。
わかってもらおうとする気がないように見えるし、
本当に伝えたいことがないようにも見える。
本当に伝えたいことを言う時に、
どう受け取られるかわからない、
使い勝手のいい、便利な言葉は使わない。
相手と自分のずれがなるべく少ない言葉を使うはずだ。
ただ、専門用語や横文字ばかり話す人は、内輪で話しすぎて
どこまでが専門用語でどこまでが一般に通じる横文字か、わからなくなっている。
そういう人を見ていると、
コードが同じ人と話す心地よさも感じつつも、
コードが違う人と話すことも必要だよなぁ、と思う。
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