知り合いが選挙に出たことがある。
知り合いといっても、だいぶ上の、60前のおじさんだ。
おじさんには母親がいて、この母親は先生だった。
先生は、息子の当選に向けて多くの知り合いを
息子の講演会に呼び、僕もそれに巻き込まれる形で、
先生の生徒達と、「息子」の講演を聞いた。
なんだか要領をえない演説だったが、
持ってる感覚が庶民的じゃないことはひしひし伝わってきた。
上から目線だった。
隣で聞いていた先生の生徒のひとりは、
「先生は自分の子の育て方を間違えられましたね」
といい、横の人も頷いた。
そう言いたい気持ちはわかるし、先生は「先生」だから、
「生徒はちゃんと育てても、息子はね・・・」
と言いたい気持ちもわかる。
でも、息子は、もう60前で、先生はもう、80だ。
どこまで子どもの教育責任はつきまとうんだろうか。
孔子は六十にして耳順(したが)うといった。
60で周りの言葉に素直に耳を傾けられるようになったという。
15にして学を志してから、30で立って、40で迷わなくなり、
50で天命を知って、60で耳順った孔子も
70で「矩をこえ」ないまま、死んでしまう。
70を軽々超えて、「80」の大台に乗った人に、
こどもの教育責任をいうのは酷だ。
60を超えた息子の演説まで親の責任にされたら、
子育てなんてやってられない。
コメント