学生の時の教科書かなんかで、
「頑張れ」っていう言葉は実は残酷なんじゃないかって話があって、
駅伝を走っている人に対して「頑張れ」って声をかけるのは、
走っている人からしたら「もっと頑張れってこと!?」なわけだから、
「頑張れ」とは簡単に言うべきじゃないんじゃないかという、問題提起文があった。
僕はそれを読んで、これを書いた人は真面目なんだろなと思った。
よく使われる言葉っていうのは、
なんでよく使われるかっていうと、
言葉の意味を通り越してすでに呪文みたいになっているからだ。
「頑張れ」っていう言葉も、呪文みたいなものなので、
沿道で「頑張れ」と言う人の言葉に、「もっと頑張れ」という意味は込められていない。
ただ、「GAMBARE」という音のする呪文だ。
「こんにちは」とか「お疲れさん」と同じで、
言葉の意味が消えて、ただ「波動」を送るだけの呪文。
まあ、呪文だからこそ受けすぎるとダメージになるし、
プレッシャーにもなるわけだから、
「もう頑張れって言わないで!」と言いたい気持ちもわからなくもないけど、
そう言ってくれる人がいるだけましという考えも、片方にはある。
「頑張れ」もけっこう長く使われている呪文だが、
「大丈夫」っていうのも、相当長く日本で流通してる呪文の一つで、
色んな傷や不安を一気に癒やす力が、この言葉にはある。
呪文は唱える人が意味を知らなくても呪文たりえるので、
「大丈夫」がどういう意味かを考える必要はないけれど、
「大丈夫」はもともと、「丈夫(じょうふ)=壮健な男」の中の「丈夫」、
「丈夫オブザ丈夫」=「”大”丈夫」と言ったところからきている。
つまりは、最高にたくましくて、頼りがいがあって、器の大きい、壮健な男子。
村の娘が皆結婚したくて、村の男たちが皆頼りにしていて
村でなにかある時には、率先して身をていし、村を守ろうとしてくれるナイスガイ。
それが「大丈夫」。
だから、現代社会で、何かに不安を抱えた男が、恋人や家族に不安を口にして、
「明日、大丈夫かなあ?」
「大丈夫だよ」
「ほんとに、大丈夫かなあ?」
「大丈夫、大丈夫!」
と、励まされている時、
それらの呪文の言葉の本来の意味としては、
「俺って、”丈夫”かなあ?」
「あんたは、”丈夫”だよ」
「ほんとに、俺って、頼りがいのある、丈夫の中の丈夫かなあ?」
「あんたは、誰よりも頼りがいのある丈夫の中の丈夫。大・大・大・丈夫だよ!」
ということなのだ。
励ます人が投げかけた言葉に宿る「大・大・大・丈夫」のイメージが、
その言葉を受けた男の心のなかに立ち上がり、
「俺は『大・大・大・丈夫』なんだ!」と信じ込ませて前向きにさせる強い言葉。
それが呪文。
自分の大切な人が唱える呪文には強力な力が宿り、
自分の大切じゃない人が唱える呪文には弱い力しか宿らない。
だから、駅伝の時、沿道で応援する人は、
気軽に「頑張れ」って言ってもいいと僕は思う。
その「頑張れ」がどの程度の呪文かは、走っている人が一番よくわかってるんだから。
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