lovely iron

  

「今、何が一番欲しい?」
そう聞かれて、金で買えるものが浮かぶことは少ない。
ただ、いろいろ思い返してみると、二つ欲しいものがある。
上等のアイロンと、センスのいいアイロン台。
この二つを店頭で見るたびに、いつも、買おうかなと考えてしまう。

アイロンは、いい。
シワが伸びるのもいいし、蒸気を使うのもいい。
アイロンがけした直後のシャツを羽織る時の暖かさもいいし、
なにより、アイロンがけしている間、心が落ち着くのがいい。

ニューヨークのブルックリンの深夜のバーで、
無料でアイロンがけをしてくれるという男がいる。
その名も「アイアンマン」。
人々がお酒を飲むバーの片隅で、アイロン台を出し、
フォーマルな格好にヘッドフォンで音楽を聞いている。
興味をそそられた客がじろじろ男を見ていると、
「アイロンしてほしいかい?」
と、彼は尋ねる。
酒を飲みに来ているのに、バーの暗がりから
「アイロンしてほしいかい?」なんて、不気味でしかないが、
彼は、パフォーマーでもアーティストでも乞食でもない。
ただの、アイロン好きの三児の父だ。
アイロン好きが高じて、人の分までアイロンがけがしたいと、
毎週、バーの客のシャツを脱がせては、アイロンをかけている。
客がいない時間帯には、自宅から持ってきた家族の洗濯物を、
一枚一枚、丁寧にアイロンがけしているという。
風変わりな人が集まるニューヨークでも、
なかなかの変わり者らしい。
そして彼は、アイロンを茶の湯になぞらえて話す。
「やってること自体は平凡なんだけど、その中に、
なんだろう、こう精神を尊ぶ本質がある」
確かに。
茶の湯とアイロンは似ている部分がある。

日本の茶の湯は、抹茶を飲むという行為から外れて、
その周辺を充実させたところに特徴があった。
抹茶自体でなく、茶碗、道具、菓子、作法、建築、空間、様式を掘っていった。
お茶の葉や味自体にこだわらなかったところに、
大陸やヨーロッパのTEAとは異なる点があった。

アイロンがけの、(目の前の)人のシャツを綺麗にしてあげたいという気持ちは、
茶の湯に通じるものがあるし、
アイロンをかけることで、自分の意識が、今・この時に集中するという点も、
茶の湯と、似ている。
アイロンのことはよく知らないが、
アイロン台の他にも、霧吹きとかなんとか色々とアイテムがありそうだ。
アイロンテクニックが高じていけば、
周辺アイテムもますます充実していけるだろう。
アイロンの技術ではなく、アイロン周辺を充実させることで、
服のしわを伸ばすという平凡な行為が、カルチャーにまでのし上がるかもしれない。
ニューヨークのバーの片隅から、
現代の新しい文化が始まっているのだ。
アイロンの精神は、茶の湯と同様、世界に共感される素地がある。
少なくとも、現時点で、ニューヨークの片隅と日本の片隅にいる人間は、
その奥深さに深く、共感している。

 

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