連日連夜のWBC。
WBC日本代表のヌートバーは今回の大会でこれ以上ないくらいの活躍をグラウンド内外でやったわけだけど、ヌートバーの人柄には、アメリカ人と日本人の家庭で育った人間の良い部分が溢れてる。
それは、礼節に対する敬意と集団に対する献身的な態度という日本人の良さと、ポジティブな積極性と周囲に対する自然なオープンネスというアメリカ人の良さである。
ヌートバーの母親も、「表裏のない性格」と息子を評していて、高校時代からスタープレーヤーでありながらまっすぐ育てられた感じが伝わってくるプレイヤーである。
野球と違い、サッカーやラグビー、バスケットボールの日本代表は、まだ世界に挑戦し、追いつき追い越せの段階なので、強豪国に勝利するだけで興奮を呼ぶわけだけれど、野球はすでにアメリカに次ぐ世界的地位を確立しているため、勝つことだけでなにか新しいものを創造できるわけではない。
今回、野球の日本代表は、大会で勝つ以上のなにかを残さなければいけない立場にあったため、国外で生まれた初の日本代表プレイヤーというヌートバーの存在が思いのほか、大きい役割を果たした。
今回のWBC準決勝で、日本代表に破れたメキシコの監督は、負けながらも、「今夜は野球界の勝利だ」と述べたが、今大会で生まれたドラマチックな試合が、野球でのみ見られるような展開・感動を生んだことは、野球界にとって大きなプラスであった。
日本における野球の国際大会は、野球でしかなしえない感動を生みだすことを迫られていたのだから。
また、栗山監督は、WBC当初から、代表チームの戦う姿勢がいかに子ども達に影響を与えるかを言い続けていたし、大会を終えた大谷翔平は、日本だけでなく、韓国や台湾や中国など、アジア全体で野球が発展することを願う発言を行っていた。
彼らは、世界の野球界を率いる立場として、勝ち負けの向こう側にあるものを見ながらプレーしており、それは、自国のMLBの利益を最優先させつつ自国のプライドのためだけにプレーしていたアメリカ代表との姿勢の違いを浮き彫りにしていた。
そうした文脈でヌートバーを見てみると、日本野球の代表として他国の代表に打ち勝つことが至上命題だった歴代の日本代表チームとは違って、新しい野球の国際的な展開を担う役割として、ヌートバーは招集されていた。
そして、期待に応えたヌートバーは、日本的な、職人選手らによる分業制代表チームに、献身的でありつつも積極的なプレイスタイルと、闘志を出しつつもオープンで自然体な表現スタイルを持ち込んだ。
今回の代表チームは、笑顔が多く見られ、野球を楽しんでいる姿勢がこれまでの代表よりもクローズアップされていて、その雰囲気は、ダルビッシュや大谷に大きく拠るものだっただろうが、ヌートバーという「転校生」との意外な化学反応も大きかったように思う。
ヌートバーの父方の曽祖父は、穀物飼料で財を成し、慈善家として、学校や図書館に13億円を寄付するような人だったと聞くが、ヌートバーが今回託された役割は、まさに、曽祖父と同じように、自身のパフォーマンスを挙げるだけでなく、その先に社会の変革があるというミッションを負ったものだった。
そういう意味で、彼の「日本人らしさ」と「日本人らしくなさ」は、チームに完璧にはまっていた。
そして、なによりも、その彼の適正を事前にしっかり見抜いていた栗山監督の慧眼たるやない。
ファイターズの監督として、大谷翔平の二刀流を見守っただけで歴史に名を残す監督であったのに、そこに新たな野球の未来を予感させる代表チームをまとめたという実績まで追加してしまった。
マネジメントスタイルと相まって、こちらも新たな監督スタイルの提示であった。
栗山監督、ヌートバー、大谷翔平、と今回の大会は、これからの日本と世界の野球の進展を予想する上で、大きな分岐点となる大会でありました。