ものさし

心理学には、「アタッチメント」という概念がある。
「愛着」とも訳されるこの言葉は、幼少期に養育者との間に生まれた情動的絆がその後の人間関係形成に与える影響を示唆する。
簡単に言うと、アタッチメントが「安定型」の人は、幼少期に養育者と確かな絆が築けたために、成長した後も、他者と適切な距離で関係を築くことができる。
一方、「不安定型」の人は、幼少期に絆がうまく形成できなかったために、他者との距離を適切につかめないことが多いと言われる。
その「不安定」の型にも3種類があるのだが、その中の主な2つとして、「他者に近づきすぎる人」と「他者から離れすぎる人」がいる。
適正な距離がわからず「他者に近づきすぎ」たり、「他者から離れ過ぎたり」するのだ。

心に関する「心理概念」に”ものさし”を当てると、たいてい、「右端」と「左端」とその「真ん中」が生じる。
つまり、なにかの心理的な特徴が、「過大な人」「過小な人」「適度な人」である。

例えば、「自己効力感」と言われる、一般的に「自己肯定感」として捉えられる概念も、その”ものさし”をあてることで、「自分に自信がありすぎて周りを見下してしまう人(自己効力感:高)」と「自分に自信がなさすぎて周りを恐れてしまう人(自己効力感:低)」が生まれる。
そして、その間に、そのどちらでもない、「適度な人たち」が配置される。

そうやって”ものさし”を当てると、すべての結論が「要はバランス」だということに落ち着いてしまうのだけど、そのように、なんらかの”ものさし”を当てることで「両極端」が生じ、その間に適度なものが配置されるというのは、なにも心理学に限った話ではなく、すべての物事についていえる事象である。

たとえば、それを、「子育て」に関してうまく言ったのが教育学者の西村拓生である。
西村は、今の日本人の子育てに、「子どもに対する関心」の目盛りがついた”ものさし”をあてる。
つまり、片方に、「大人が子どもに近づきすぎる傾向」を置き、反対の極に、「大人が子どもから離れすぎる傾向」を配置した。
言い換えると、片方の極には、「子どもが親のキャリアや自己実現のために忌避されている現状」があり、他方の極には、「子どもが親の自己表現の手段として利用されている現状」が置かれている。

日本の「少子化」という問題や、「うるさいから」という理由で保育園や公園を住宅地に作らせないような問題は、前者の問題と関連がある。
人々が自らの利益を最優先に考えるために、子どもは忌避され、後回しにされる。
子どもに時間とお金を使うくらいなら、自分のために使いたいという現代人の思考は、子どもにできるだけ早く大人として振る舞うことを要求する。

それに対し、後者の問題は、親が自分の肯定感を上げるために子どもを有名な小中学校に入れたり、子ども以上に親が子どもの習い事に熱心になるような光景において見られる。
親にとって、子どもが子育ての「結果・作品」になってしまっており、子どもがただの手段に成り下がっている。
そこでは、親が成し得なかったことに対する埋め合わせとして子どもが使われているだけで、子どもにはできるだけ親の望みに合致する行動や成果が求められている。

こうした、「子どもに対する関心」の目盛りがついた”ものさし”をあてると、片方に、子どもに関心の低すぎる大人たちが配置され、他方に、子どもに関心の高すぎる大人たちが配置される。
しかし、それが明らかにしているのは、どちらの極においても、子どもは大事にされておらず、大人の都合によって育てられているということである。
”ものさし”上では、「右」と「左」と「真ん中」が存在するが、どこに配置されても、本当の意味で「子どもに関心がない」という意味では同じである。

「本当の意味で子どもに関心を持つ」というのは、それはそれで大きなテーマだが、”ものさし”というのは一つの「見方」である以上、一つの”ものさし”をあてて、その両極に触れずにその間の適度な目盛りに落ち着くことが成熟した大人のあるべき態度であるように、”ものさし”を複数あててみることで、その適度なバランスを探ることも大人のあるべき姿である。

ひとつの”ものさし”は、別の”ものさし”による見方を隠してしまう。
「子どもにひどく手をかける」ことも、「子どもをまったく気にかけない」ことも、「その間のどこかに配置される」ことも、子どもへの関心・関わりの度合いを問うているだけで、「本当に子どものことを考えるとはどういうことか」という問いは生み出さない。
そうした問いに答えを出すためには、別の”ものさし”が必要で、いくつかの”ものさし”を当てながら、それらの”ものさし”が示す極端を避けつつ、その間にある「適度さ」を探っていく必要がある。
そのためには、子どもに関わる人自体が多くいる必要があり、一人ひとりの持つ”ものさし”の価値を低めることが必要になる。
つまり、子どもを育て教育することを家庭や学校に押し付けず、社会全体で考える必要があるということである。
ただ、現状は、各親や学校に丸投げされているわけであり、どうやって”ものさし”を増やすかを、丁寧に考えていくより他はない。

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