一ヶ月ほど前の話だが、キンモクセイが香り始めたことをヤフーニュースで初めて知った。
なんてこと・・・。
「季節の花」と「旬の食材」をネットニュースで知るようになったら、日本人として、終わりである。
でもなぜキンモクセイの香りに気づかないかというと、自分の生活ルートにキンモクセイが咲いてないからで、キンモクセイは、春の桜や秋の紅葉みたいに、開花情報がネットニュースにならない樹なので、己の生活圏の中で目に(OR鼻に)しないと、どこでお目(OR鼻)通しできるのか、皆目、検討がつかない。
っというわけで、その日は、キンモクセイを探しに、当てどなく近くを歩いてみたのだけれど、キンモクセイの芳しい香りを嗅ぐことは結局、できず終いで終わった(同語反復)。
なのに、翌日、朝、目を覚ますか覚まさないかの狭間で自分と格闘しながらベッドをゴロゴロしていると、鼻孔に吸い付く甘い香り。
ん?
起きあがって、部屋の窓をガラッと開けてみると、目の前に、黄土色のキンモクセイの花がびっしり咲いていた。
むぅー。
これは、幸せの青い鳥みたいな話?
探してたものは、実は、目の前にありましたみたいな?
実は、引っ越したその日から目の前にあったはずのキンモクセイは、ずっと気づかれずに今日まできたわけだけど、それに気づかなかったのは、キンモクセイがずっと花を咲かせてなかったからという言い訳もあるにはある。
花が咲いてないと、樹を見ても何の樹かまったくわからないってのは、現代教育の欠点でもあるのだが、花がないとその樹に注意すら向けないってのは、なんだか、示唆的なお話。
キンモクセイは、花をつけなくても、芳しい香りを漂わせていなくても、年間を通してそこにいたわけで、花が咲き、香りが充満して初めてその存在に気づくなんて、世間で話題になってからハマりだすミーハーなアイドルファンみたいで、かつて教えたことのある生徒が何かの分野で有名になってから、その子のポテンシャルに遅まきながら気づくダメな先生のようで、せっかくの一年に一度のキンモクセイの開花なのに、素直にハレの時期を喜んであげれない気持ち。
そして、キンモクセイが香りを漂わせているのは、ほんの一週間くらいということを想う時、儚さというものは、サクラだけに感じられるものではないことを知る。