昔の偉人はいかにも偉人然とした顔をしている。
ヒゲなんか生やして、生まれながらの偉人ですみたいな顔をしている。
しかし、実際のところ、どれほどの偉人だったかはわからない。
なにせ、写真が白黒だ。
白黒写真はずるい。
どうみても偉人に見える。
僕らの時代はカラーってだけで、威厳が減る。
すべての偉人候補者には、損な時代だ。
最近ではカラー写真にとどまらず、
動画も簡単に撮影して、ネットにアップできるので、
偉人を生み出す余地は消えたといっていい。
偉人とは、やはり、動いているより動かない。
カラーより白黒。
写真より絵だと、相場は決まっている。
偉人には、謎がないといけない。
手軽に動画が配信できちゃう現代は、
偉人の、偉人じゃない部分、大したことない部分をはっきりと見せてしまう。
本の中で、偉い学者がどれほど素晴らしいことを言ってみても、
動いている本人を動画を見てガッカリ、
みたいなことは平気で起きる。
あんな立派なこと言ってる人が、こんな顔で、こんな声なのか・・・。
動画時代は、「言ってること」に「外見」が強く影響してしまう。
それは、はたして、いいことだろうか。
政治家にとっては、それは、もしかすると、いいことかもしれない。
政治家は、「外見」や「パフォーマンス」含めて評価される。
ただ、学者にとっては、よくないことだろう。
学者は、「外見」でなく「業績」で評価すべき人達だ。
西洋社会は、どんなに人格の破綻した学者でも、
「業績」で学者を判断すると言われるが、
日本は、学者の「業績」と「人格」をごっちゃにするところがある。
どんなに優れた学者でも、痴漢で捕まってしまったら、
学問での「業績」もろとも闇に捨て去る。
そういう”未分離”が、日本社会にはある。
動画社会が、それを加速させないか心配だ。
動画とカラー写真が、どんな偉人の”人となり”もあけすけに見せてしまう時代、
大した偉人はこの先、現れないかもしれない。
でも、もし、この逆風の中でも、偉人が現れたとしたら、
それは、相当な偉人だろう。
白黒写真でもなく、ヒゲも生えてないのに偉人なんて、
そいつは、正真正銘、嘘いつわりない偉人に違いない。
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