
学生の時、バイトの飲み会で必ず中心になっている奴がいた。
 高らかに乾杯の音頭をとって、先輩を持ち上げて、
 自分が道化になって、歌って踊って盛り上げるいい奴だったのだが、
 そいつは、まったく、バイトに関係ない奴だった。
 つまり、呼ばれてもないのに、毎回毎回、勝手に来ていたのだ。
 「呼ばれてもないのに、よく来れるな」
 そう本人に言うと、
 「呼ばれてからじゃ、遅いからな」と、
 わかったようなわからないような返答だった。
 人に呼ばれて行く集まりにだって気を使ってしまうのに、
 呼ばれてもないのに勝手に来るなんて、なんて図々しさだと思う。
 その図々しさが、羨ましい。
英語で職業のことを「calling」という。
 「天職」とも訳されるこの単語は、神様からの呼び出しのことをいい、
 自分の意思によらず、神様からの思し召しで就いた職業を「calling」とよぶ。
 この世には、明らかにそうやって仕事に就いた人たちがいる。
 仕事がそのままぴったり、その人の生き方に合っているような人たち。
 その一方で、明らかに神様から呼ばれていないのに、
 その仕事に就いている人もいる。
 はたからみると、もしくは(神様に)呼ばれた人たちから見ると、
 「呼ばれてもないのに、よくやるよね」
 そう声をかけたくなるような人たち。
プロ野球で二十数年かけて2000本安打を達成する選手の中には、
 若い頃に、監督やコーチに見放された人達がいる。
 お前には、プロでやっていける才能がない。
 そう才能を見限られた選手たちは、
 自分の周りの本物の才能を目の当たりにし、
 自分が神様に呼ばれなかった不幸をかこちながら、
 ひたすら、練習を重ねる。
 練習して、練習して、二十年練習した後で振り返ると、
 そこに2000本のヒットが積み重なっていたりする。
 「あれ、お前、呼んでなかったはずだけどな」
 そう、(2000本打ったら入れるクラブである名球会の)神様は思うかもしれないが、
 呼んだ奴だけが入れる会が、楽しい会になるとも限らない。
 呼んでなかった奴がたまたま来たおかげで、
 会が大いに盛り上がることだってある。
 「あいつ、呼んでなかったけど、ま、いっか」
 道のどこかで、自分が神様に呼ばれなかったことに気づいたとしても、
 気落ちしてはいけない。
 呼ばれなくても、行く。
 呼ばれなくても、やる。
 その図々しさが大事なのだ。
 呼ばれてないけど、来てみました。
 呼ばれてないけど、やり続けてみました。
 その図々しさが、後で、”みんな”のためになるのだ。

 
  
 
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