プレゼントの横流し

 

プレゼントはあげた時点で、もらった人のものだと思っているので、
もらった人がそれをどう扱おうが構わないと思っている。
僕は、バレンタインでもらった義理チョコを、
そのまま、別の友人の新築祝いに「おみやげだよ」と言って渡すような男なので、
人からもらったものを別の人に渡すことをなんとも思っていない。
プレゼントは中身に意味がある場合と、
渡すことに意味がある場合があり、
ほとんどのプレゼントは後者で、プレゼントの中身にたいした意味はない。

先日も、久しぶりに会った知り合いにもらったおみやげを、
新しく引越した先のお隣さんに「ご挨拶」として手渡した。
中身は開けていないので何だったのかは知らないが、
多分、包装紙から想像するに、佃煮か何かだったと思う。
引越しのご挨拶で渡す分には、問題ないものだろう。

人がせっかくくれたものを右から左に流すようなことをしていると、
周りから「非道」「心がない」と非難されるが、
たいして佃煮好きでもない自分が佃煮を食べるよりも、
佃煮好きな人に渡して、その人に佃煮を食べてもらう方が、
佃煮も喜ぶし、佃煮をもらった人も喜ぶからいいじゃないかと思う。
(もともと「ご挨拶」として渡す予定だったのは「タオル」だし)
「佃煮1個に対して贈与1回」よりも、
佃煮を「横流し」して、
「佃煮1個に対して贈与2回」の方が、
この世のハッピーの量は増えるとも考えている。

もしも、プレゼントの中身に意味があるのに、それを他人に「横流し」していたら、
いくら「非道な」僕でも、それは人の道に悖る行為だと思うけれど、
中身に意味があるプレゼントってのは、たいてい、
子どもからもらった「手作りの肩たたき券」とか
安月給の恋人が「無理して買ってくれた指輪」とか、
他人に「横流し」しても、喜ばれないものが多い。
「横流し」できるものは、そもそも中身が重要ではないものなのだ。

そんなことを言っていると、
僕にプレゼントをくれる人がいなくなってしまうので、
このことは基本、内緒にしている。
プレゼントをくれる人がいないと、
「1個のプレゼントで2回の贈与」をすることもできない。
この世のハッピーの量を増やすためには、
いらんことは言わずに黙っておくことも必要なのだ。