五人称

「一人」と「二人」は全然違う。
でも、「二人」と「三人」の間にも、
「一人」と「二人」と同じくらいの大きな違いがある。

三人集まると、二人の時にはなかった
「場」や「空気」みたいなものが急に出現して「集団」になる。
二人の時には親密だった二人が、
三人になった瞬間、急に、よそよそしくなる。
言葉遣いもなんとなく集団用のそれになって、
会話の主導権が「人」から「場」に移るようになる。
”わたし”と”あなた”の他に、
”あいつ”や”あの子”、”私たち”が入ってくる。
三人寄ると、人は知恵を出し始めるが、
三人寄ると、人は軽薄(無責任)になりはじめる。

人はすぐに寄り集まりたがるが、
大事なメッセージを届けようとする人は、
いつも「一人称単数から二人称単数」へ届ける。
歌を歌うひとは、「”あなた”に届け」と歌い、
文を書くひとは、「”わたし”は反対する」と立ち上がる。
本当に大事なことはいつも、
”あなた”であり”わたし”の話であって、
”彼ら”や”彼女ら”の話ではない。
大事なのは「一人称単数であり二人称単数」。
しかし、人が三人寄り集まると、
そこに、”私たち”という「一人称複数」が生まれる。
”私たち”という、主体的で無責任な人のかたまり。
”私たち”という、もっとも重要でもっともやっかいな人のかたまり。
”あいつら”という三人称複数をすぐに作り出す、「一人称複数」のかたまり。

今は、各自がそれぞれバラバラに動いて、
”私たち”がなかなか定まりにくい時代だ。
”私たち”になりたいけどなれない時代。
たぶん、これからも、それは続いていく。
どうやって”私たち”を作っていき、
どうやって”私たち”に潜む軽薄さを取り除いていくのか。
それは、これからの時代の重要な課題。
キーは、「一人称複数」。
考えるべきは、「WEとは誰のことか」だ。