読書の秋

  

読書の秋というけれど、
年中、本をかたわらに置いている身としては、
秋が特別、本の季節という感慨もない。
冬もけっこう読めるし、春の本読みもさくさく進む。

それでも秋になると、福岡のけやき通りで行われている
「一箱古本市」という催しを思い出す。
個人がそれぞれ、一箱分のスペースで自分の本を売るというもので、
その期間中は、通りが、「古本売り」で埋まる。
10年ほど前、中学生に勉強を教えていた僕は、
彼らに本のポップを書かせ、大量の古本を売らせていた。
かんたんな商売体験をさせようとしたのだ。

古本市に中高生の出展者はおらず、
通りのお客さんたちは小さな店主に惹かれて、けっこう買ってくれた。
まあまあいいペースで本がはけはじめたので、
僕たちは一休みして、昼食をとることにした。
生徒のお母さんがお弁当を持たせてくれていて、
ピクニック気分でお弁当を広げることにしたのだが、
いかんせん、通りは人で溢れかえっていて、シートを広げるようなスペースはない。
しょうがないので、ブティックの入り口の近くにシートを敷こうとすると、
中学生たちが「先生、怒られますよ」と制してくる。

子どもというのは、周りの目をとても気にするもので、
周りで誰もおおっぴらにシートを敷いてお弁当を食べていないのに、
自分たちだけピクニック気分で昼食を取ることを恥ずかしいと思うのだ。
「先生、ここ、絶対、怒られます」
そう言ってくる子どもたちに、
「じゃあ、怒られたら、その時、考えよう」
そういなして、無理やり、そこでピクニックをしていると、
ものの10分くらいで係りのおじさんがやってきて、
「ここは店の前やけん、どっか別のとこで食べてください」と警告された。

それで仕方なく、そこから離れたベンチに移ると、
子どもたちは、”だから言ったじゃないか”という目で僕を見てくる。
「だから、怒られるって言ったんですよ」
子どもたちは、僕に対して、怒っている。
自分たちが怒られたと思って、僕に向かって怒ってくる。
でも、おじさんは、係員として僕らを指摘しただけで、
別に怒ってたわけではない。
まあ顔はちょっと怒ってたかもしれないけど、
怒ってたというより、呆れていただけだ。

子どもは、怒られることに怯えている。
時代的なことなのか、年齢的なことなのか、
人ん家の塀の上を平気で歩いていた時代の子どもたちは、
怒られることにそんなにビビってなかったように思うし、
人ん家の柿を勝手にもぎってた子どもたちは、
怒鳴られることをそんなに大したことだと思ってなかったように思うが、
いまの子どもたちは、怒られないように怒られないように行動している。
大人が子どもの世界をどんどん隅に押しやるから、
子どもが大人の世界と子どもの世界の間の塀を歩かなくなってしまった。
怒られるくらいなら、最初から、
閉じられた子どもの世界から出ないほうが賢明だと思うようになったのかもしれない。
大人は、子どもを早くから大人にしすぎている。


子どもは、ほんらい、子どもの世界の中ではしゃいでいるもので、

はしゃいだあげくに、人ん家の窓ガラスなんかを割っちゃったら、
その時、初めて、”大人”を意識するもので、
ガラスを割る前から、大人のことを考えてもどうしようもない。

たとえ、大人に怒られる可能性が何かしらあったとしても、
こどもは、”怒られてから考えよう”と思うくらいで、ちょうどいい。
大人は怒ってるように見えて、ほとんどは怒っていないし、
本気で子どもに責任を追求するような大人は、ほとんどいないのだから。
大人に怒られることに怯えるのは、大人だけで十分なのだ。