賢治とワーズワース

  

イギリスの詩人・ワーズワースの言葉
「plain living, high thinking」(暮らしはつましく、想いは高く)
を思い出したのは、宮沢賢治に関する本を読んでいた時だ。
賢治は、教職を辞した後、「羅須地人協会」という私塾を作り、
田畑で自給自足の生活を送りながら、
周りの若者に「農民芸術」の講義を行った。
農民相手に、科学やエスペラント語の講座を開き、
レコードの鑑賞会や童話の読み聞かせも行った。
賢治は地元では誰もが知っている裕福な家に育ったので、
農民とともに文化的で「つましい暮らし」を送ろうとする賢治の姿は、
周りから、「坊っちゃんの道楽」としてしか見られなかった。
(事実、羅須地人協会の活動は、7ヶ月で終わる)

ワーズワースはロマン派の詩人で、イギリスの湖水地方を好み、
自然の中で、「つましい暮らし」を送った。
イギリスが産業革命を迎え、
多くの人が都市の中であくせく生き始めた時に、
ワーズワースは田舎に住み、「つましい暮らし」を詩に歌う。
自然を愛していたワーズワースは、
都市の中で疲弊していく人々を見ながら
「つましい暮らし」 と「高い想い」、両方の価値を認めたわけだが、
賢治は、人生の後半、思想の世界に入り込んでいったので、
「暮らし」よりも「想い」の方に強く傾いていく。

どう暮らすかよりも、何を考えて生きるか。
「暮らし」よりも「思想」を大事にする人は、
生活が「豪奢」か「つましい」かをまったく気にしない。
名家に生まれて、「豪奢」な生活をしていても、
「ノブリス・オブリージュ」の意識を持っていれば、
「想いは高く」生きられるし、
貧乏な家庭に生まれて、「つましい」生活しかおくれなくても、
「ボロは着てても心は錦」だという意識のもと、
「想い」を常に高く掲げることができる。
「暮らし」がつましかろうと、そうでなかろうと、
「想い」とは関係がない。
「想い」が強い人は、そう考える。

ワーズワースは1802年に、
「plain living and high thinking is no more
(つましい暮らしと高い想いは既にない) 」と歌ったけれど、
生き方を選択できる現代では、
敢えて、「つましい暮らし」や「丁寧な暮らし」をすることもできる。
ただ、だからといって、
以前あったはずの「高い想い」が取り戻されるわけではない。
大切なのは、どこでどう暮らすかではなく、
何を想って生きているか。
人生の晩年、賢治は、
石灰を売る営業マンとして東京を走り回っていた。
童話作家としての賢治しか知らない人からすると、
”らしくない”生き方をしていた晩年だが、
賢治のこころは、使命感に燃えていた。
「想い」の人にとっては、東京も岩手も、農民も営業マンも関係ない。
賢治は「想い」の人だったので、
ワーズワースと違って、

どこに住んでどういう暮らしをしているかは、どうでもよかったのだ。