6/3 あの夏の伝説

日本ハムに大谷という怪物がいるが、
あの世代は「大谷世代」ではなく「羽生世代」らしい。
「世代」は、競技を超えてくくるようになったらしいが、
ひとつ前の黄金世代を背負った松坂大輔は、
今年も一軍で投げられないかもしれない・・・。

1998年・夏、甲子園は燃えに燃えた。
春の甲子園を制した怪物・松坂大輔率いる横浜高校は
順当に勝ち進み、事実上の決勝戦ともいわれた、
対PL学園戦を、延長17回の末に破り準決勝に進んだ。
250球を投げ抜いた松坂は翌日投げないことを試合後に明言。
その言葉通り、準決勝の明徳義塾戦、
マウンドに松坂の姿はなかった。
今後、球界を背負って立つことが約束された男は、
外野で戦況を見守ることしかできなかった。
後に松坂世代と言われるこの年代の球児達は、
一人の怪物を打倒するために奮起し、
多くの才能が花開き、プロに進んだ。
松坂のワンマンではなく総合力としてもトップクラスだった
横浜高校を持ってしても、松坂抜きで明徳義塾の勢いを
抑えることはできず、試合は8回表を終わり0対6。
会場は、前日死闘を尽くしたチームの戦いに、諦めムード。
「横浜は、PL戦ですべてを出しつくしたんだよ」
横浜もここまでか・・。

その時、横浜の渡辺監督は半ば試合を諦め、
最後はエースで試合を終えようと、
松坂にベンチ前での投球練習を始めさせた。
2-6。
4点ビハインドのこの時点では

松坂の(ほんとうの意味での)出番はない。
しかし、松坂の姿を見て、会場はどよめいた。
おい、松坂だ。松坂・・。
投球練習してる・・・。
松坂だ・・・。

投げるのか・・・。
松坂が、投げるのか・・・。

甲子園の雰囲気が確実に変わった瞬間だった。
松坂が投げるかもしれない。
それだけで、
会場にいる人たちの意識が変わった。
「あの怪物のいるチームが負けることがあるのか?」
「松坂のいるチームが負けていいのか?
甲子園には魔物がいるといわれるが、

ざわついた雰囲気を明徳義塾も横浜高校のナインも審判も敏感に感じ取った。
松坂の球がブルペンでキャッチーミットに投げ込まれる。
ドスンッ。ドスンッ。
その中でも、あの横浜を相手に勝利を目前にした明徳義塾のピッチャーが
一番敏感に流れが変わるのを感じたはずだ。
そして、この回、沈黙していた横浜打線は息を吹き返し、
さらに2点を返す。
4-6。

そのまま松坂はベンチ前からマウンドにあがる。
湧き上がる甲子園。
貫禄のエースは15球で3人を仕上げ、
最終回の攻撃のお膳立てを完璧に整える。
その裏、会場全体の後押しに乗って、最終回の攻撃で3点を奪った横浜高校は
サヨナラで決勝に進んだ。
そして松坂は、試合前にナインへ宣言した通り、
決勝でノーヒットノーランを達成して、チームを日本一に導き、
松坂は本物の怪物になり、この夏の大会は伝説になった。

歴史に燦々と輝くあの夏の甲子園を、
2軍で調整を続けるホークスの松坂大輔を見ていて思い返す。
思い返すとはいっても、実は、僕はあの夏の甲子園を一戦も生で見ていない。
あの夏、僕はつまんない塾の合宿で缶詰にされ、
キンキンに冷えた教室の中で、冷徹な二次関数を解いていた。
あの夏の熱さには一瞬も触れていないのだ。
それなのに、実際に甲子園で見てきたかのように、熱を持って、
あの夏の伝説を人に話すことがある。
NHKどころか、熱闘甲子園でも、うるぐすでも、あの甲子園を見ておらず、
あの夏の記憶は、ほぼすべてナンバー(スポーツ雑誌)から得ただけだというのに。

新政府内閣総理大臣・坂口恭平氏の言い分ではないが、
見ていない記憶は、想像で補えばいい。
想像の中には、実際に見たもの以上の感動がある。
一度もあの夏の甲子園を見ていなくても、
勝手に細部を創作して、人の心情を当て推量して、

あの夏の甲子園の熱気を蘇らせていればいい。
僕のあの夏の記憶は、ノンフィクションではない。
ほぼ、想像だ。
でも、それで、いい。

松坂大輔が見た甲子園と明徳義塾のエースが見た甲子園が違うように、
あの夏の甲子園を生で見た人と、雑誌でしか読めなかった僕の思い出が違っていても、問題はない。
人の数だけ、甲子園はあるのだ。